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「坂口安吾はどこから来たか」(1)
若月忠信
敬和学園大学教授
文芸評論家
若月忠信先生
 「おれの祖先は、肥前唐津(佐賀県)の陶工で坂口村の出だよ」と安吾自身は友人の壇一雄に語っている。町村合併で坂口村は地図の上から消えたが、以前はちゃんと載っていた。江戸の初期、加賀(石川)の大聖寺に移って九谷焼をつくり、やがて殿様について越後(新潟)にやってきた。ここで阿賀野川沿岸の湿地開墾にたちむかい土地と富を手にした。祖先についてのこの話は「五峰餘影」(昭和四年刊)の中で、安吾の兄献吉が病床の父仁一郎から聞かされた話として紹介されている。

 安吾の古代史観には朝鮮半島が常に視野に入っていることを考えると、遠祖は海の向こうの大陸人と安吾は考えていたのかもしれない。

 安吾の本籍は新潟県中蒲原郡阿賀浦村大安寺(現・新潟市郊外)。幕末の戊辰戦争で会津藩に味方した坂口一族は衰退するが、それまで、ここで盛衰をくりかえした。
 

 「阿賀野川
の水が枯れても、
坂口様の金は尽きない」
と言われた祖先のエピソード
のいくつかを紹介する。
花火好きの人物がいて、屋敷内に工場をつくり、
冬でも秋葉山から花火を打ちあげて楽しんだ。来客の接待などで、新潟の料亭にくり出して、座敷を田んぼに見立て、豆腐を敷きつめ、大勢の裸の芸者に田植えのまねごとをさせて酒宴を楽しんだ人物もいる。また江戸の作家十返舎一九を滞在させて、付近の様子を書き残させている。

 ちなみに、坂口家の墓は前述の大安寺にあり、安吾も夫人の三千代さんもここに眠っている。二月十七日の安吾忌も毎年、ゆかりのお寺の住職の読経から始まり、集落の人のふるまるう熱い甘酒で幕をとじている。
 近くの阿賀野川堤に、壇が墓参の折読んだ「亡き友の泳ぎし跡か川広し」の句碑もある。

坂口家墓所
  続きは5月号で。
     
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