坂口安吾デジタルミュージアム

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コラム

■安吾さんと「芭蕉」そして志功さんへの旅 後編   安吾を語る会代表 奈良彰一

芭蕉外観
芭蕉外観

芭蕉内部 絵馬
剥離前の状態

修復の様子
剥離作業の様子

織都桐生にある異国調菜「芭蕉」を御存じだろうか。知る人ぞ知る店である。
桐生で開催する安吾忌や引越し記念日のパーティには、お馴染みの椎茸饅頭を提供して頂いているレストランである。坂口綱男氏も好物なようで、遠来者にも好評である。

その芭蕉は安吾さん縁りの店でもある。戦前に小池魚心さんが創業した。
民家造りの建築は、隅々まで魚心さんの美意識が貫かれているのだ。
桐生は幸いにも戦災に遭わなかった。、文化復興の柱となったのは民間団体の桐生倶楽部であった。、その中心人物の多くは芭蕉との縁も多かった。

昭和27年2月29日、安吾さんが桐生へ引っ越すきっかけの場面がまさに芭蕉なのである。先に疎開していた南川潤さんが友人達に、伊東競輪の写真判定の件で協力依頼していたのである。前年の昭和26年の12月の暮れは皆、多忙を極めたのである。その協力者こそ、周東隆一、小島市造、境野武雄らであった。周東さんは群馬大学工学部吉田研究室の双眼顕微鏡で拡大実験に、小島さんは写真製版の技術を駆使した。しかし答えは決め手なし。

こうした無心の努力は安吾さんを感激させたのだろう。翌年1月安吾さんはお礼の為、南川さん宅を訪ねた。すると安吾さんは皆さんを前に正座し、礼儀正しく頭を下げられたと言う。
そして席を「芭蕉」に変えることになった。南川さん、周東さん、小島さん、境野さんに鳥井足さんが加わり、安吾さんとの宴となった。英国のドライジンを一晩で開けたという。そしてはしごでカフェ・パレスへ。
この一夜は安吾さんにとって、引っ越す決意をさせた日であった。「芭蕉」はまさに人と人と桐生を結びつけた奇跡の空間であったのだ。

その「芭蕉」が再び時代を経て脚光を浴びようとしている。
昭和28年5月11日、この「芭蕉」で版画家棟方志功さんが壁一面に迫力ある絵を描いたのである。安吾さんが桐生に越した翌年のことである。

安吾さんは桐生を、そして何よりも人間に惹かれ引越しを決意した。そして3年余りの創作活動は代表作「夜長姫と耳男」をはじめ数多くの作品を世に送り、昭和30年2月17日急死した。        続く