坂口安吾デジタルミュージアム

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コラム

■安吾さんと「芭蕉」そして志功さんへの旅 後編   安吾を語る会代表 奈良彰一

完成
完成

完成
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志功さんが「芭蕉」で壁画を描いたのは、魚心さんが志功さんのフアンであったためである。栃木の友人を介して志功さんを伴い訪問したのである。壁は高い所にあり足場を用意していた。
数時間ほどで一気に描き上げた絵は、天馬が駆け巡り、天女が泳ぎ、まるで天界で遊んでいるが如くである。一枚のモノクロ写真だけが想像力を豊かにしてくれる。
しかし、魚心さんはこの絵を見て考えた。「店の空間には合わない」と、決意したのだろうか、翌日には壁を塗りつぶす事になった。魚心さんの美意識はためらいはなかった。こうして、志功壁画は伝説になったのである。

あれから55年の歳月が流れた。時代も環境も変わり三代目の後継者への道も出来た。身近な友人の声もあり、当主の一正さんは壁の発掘を決断したのである。
まずは試し剥ぎをする事になった。ベテランの左官職人が注意深く、一層目、二層目と少しずつ削り始めた。1.8m×3.0mの漆喰壁から最初に現れたのは、顔料で描かれた椿と馬のヒズメの部分である。眠りから覚めた群青、朱、茶、黒の色彩は、まさに青森のねぶたを思わせるに足るものである。
そして本格的な剥離がはじまる。日々僅かずつ現れる光景は、自分までが絵を描いているのかと錯覚さえする。鮮やかな色が現れるたびに興奮が収まらない。
モノクロ写真では解らなかった天女は6人、宝珠や鈴や打ち出の小槌、花や魚も、天馬を中心に微笑んだ太陽や月、北斗七星を配した構図は、見事な宇宙を表現した。
年期を1953、5、11 署名を棟方志功写之と記した。
こうして10日間に及ぶ作業は拍手のなか終わりを告げたのである。
美わしき壁画を見ながら過ごした日々は、なんと幸福であったか。 梅原龍三郎は「彼の仕事は考案ではない、技巧でもない。彼の印する一線一点が彼の美的感情の素直大胆なる表現である。」と評したのが理解できた。
昭和31年にはベニスビエンナ-レでグランプリを受賞、志功さんは一躍世界へ羽ばたいた。

三人の生年は偶然にも志功さん1903年、安吾さん1906年、魚心さん1907年の同世代であった。そして「美」への求道者であったのだろう、と。

2008.10.、8 了