坂口安吾デジタルミュージアム
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新潟安吾名所案内-寄居浜安吾碑
小学生の頃、万代橋という信濃川の河口にかかっている木橋がとりこわされて、川幅を半分に埋めたて鉄橋にするというので、長い期間、悲しい思いをしたことがあった。日本一の木橋がなくなり、川幅が狭くなって、自分の誇りがなくなることが身を切られるせつなさであったのだ。(「日本文化私観」)

萬代橋は、新潟駅万代口を出て1キロメートルほど進んだところにある、六連アーチの橋です。この橋の歴史は古く、開通式は1886年。当時は木造の橋で、1908年の新潟大火で焼失し、2代目萬代橋が再建されたのが翌年の1909年でした。坂口安吾が「日本一の木橋」と言ったのはこの2代目で、幅6.7メートル、長さが現在の約2.5倍にあたる780メートルもあったそうです。

その萬代橋を渡って柾谷小路を突き当たった辺りが、坂口安吾の生家跡がある西大畑町です。ここには他に、新潟カトリック教会と異人池跡があります。

その南方は異人池。東は天主教会堂。北はキナレ亭の廃屋の崖にとざされ、西は海へでるポプラの繁った砂丘であった。そういえば異人池もポプラの繁みを映すためにあるような池であったし、天主教会堂もポプラの林の中にあった。(「吹雪物語」)
 
 
  【写真1】どっぺり坂の上から
 
  【写真2】ほぼ同じ角度から
 
  ※写真をクリックすると拡大します。
「天主教会堂」というのが、新潟カトリック教会のことを指しています。「ふるさとに寄せる賛歌」にも教会、異人池、ポプラのセットで登場しますが、ポプラの林と異人池は、残念ながら現在はありません。異人池とは教会のそばにあった池で、神父や領事館に出入りする人など周辺に外国人が多かったことから、異人池と呼ばれたようです。フナも釣れたそうですが、昭和の始め頃から徐々に小さくなり、第2次世界大戦後には埋められてしまいました。(▼写真1:右に見えるのが新潟カトリック教会)

最後に、どっぺり坂です。作品内での記述はありませんが、どっぺり坂の上から町を見渡す坂口安吾の写真(▼写真2)が残っています。この「どっぺり」とは、ドイツ語の「ドッペルン」(英語のdouble)からきていると言われています。どっぺり坂の上に学生寮があり、そこに住む学生がこの坂を通って古町へ遊びに行っていたそうで、あんまりこの坂を通りすぎると、留年する(ダブる)という意味だそうです。


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