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    小説坂口炳五

    七北数人

    2 異国への憧れ

     新潟の海岸に吹く風は強く、広大な浜の砂による被害を防ぐため、植林された黒松の林がはるか彼方まで延々とのび広がっている。松林から街への入口までには茱萸(ぐみ)の藪があり、藪を歩いていると自然に坂口家の庭にまぎれこんでいる格好だ。

     そんな坂口家の庭にも、ふた抱えはありそうな立派な松の木が七本たちならび、さながら森の隠者の棲処(すみか)かと見えた。海風にさらされてさざめく松籟(しょうらい)は、家にいる者にはかえって静けさを感じさせた。

     炳五が生まれる18年前にこの大きな家を借りた仁一郎は、庭の松林の威容を興がり、我が家を「七松居」と名づけ、時にそれを自らの号にも用いている。

     幼稚園に通いはじめた炳五のメインの遊び場は、海岸まで延びる茱萸藪の丘だった。近所の五郎少年と2人、大声を張りあげて息が切れるまで駆けずりまわるのが日課である。

     潮をふくんだ風に頬を叩かれながら、波音と声の大きさを張り合っていると、青天の底に一瞬、闇の裂け目が見えた気がする。急に心がざわつく。でもすぐに、駆け抜ける楽しさに紛れてしまうのだった。



     金井写真館の五郎とは、家が近いこともあって幼稚園ですぐに友達になり、互いの家を行き来するようになった。

     炳五の住む家は、明治よりも遠い昔、曹洞宗のお寺に付属する小坊主たちの学校だったという話で、だだっぴろい部屋がいくつもあり、柱も板の間も黒ずんで古さびた日本家屋だった。

     対照的に、金井写真館は羽目板張りのモダンな洋館だ。羽目板の外面はすべて鮮やかなピンクに塗られ、窓枠や玄関扉の白さが映える。明治の初めから貿易港として開港した新潟には、あちこちに洋館が建っていたが、写真館の建物も、昔アメリカの宣教師たちが建てた新潟女学校を改装したもので、炳五の叔母はここで英学などを学んだと聞いていた。

     お互い自分の家とまったく違う雰囲気に憧れをもった。

     五郎は、坂口家の松林に囲われた縁側で足をぶらぶら揺らし、縁側の板がギシギシ軋む音を聞くだけでも楽しいと言う。母のアサが三角チマキを持ってきてくれたりする。笹に包んで煮たモチ米に、きな粉と砂糖をまぶして食べる、炳五の大好きなおやつだ。そういう時の母は別人のように優しく、ほがらかだった。

    「あんないいオッカサマがいて、羨ましいな」

     五郎にそう言われて、炳五はくすぐったいような嬉しさも感じるのだが、すぐにブンブン首を振る。

    「全然。いつもは鬼のようだぞ。おまえんちのオッカサマのほうがずうっと優しいじゃねえか」

     炳五はそんなふうに言ってみせたが、この頃では鬼の顔も以前ほどは見なくて、没交渉に近い状態になっていた。幼稚園に入園する直前に妹の千鶴(ちず)が生まれて、アサは家の事のほか一切は赤ん坊の世話にかかりっきりだった。初めのうちこそ、炳五も妹ができた嬉しさに、そこらじゅうを飛び跳ねたものだ。12人兄弟の末っ子というのは、本当にビリッケツな感じがして厭だったのだ。

    「おまえの生まれた時はひどい難産でな、おまえを殺さねばオレが死なねばならんかも知れんと言われて、それはもう……」

     だからおまえが憎い、と言わんばかりの憎まれ口をきく母だったが、千鶴のことは可愛いらしい。憎まれて生まれた自分は、赤ん坊の時どうだったのだろう。可愛がられたことなどあったのだろうか。

     炳五は憎まれることすら少なくなって、気楽にはなったが、心の中には常に隙間風が吹き抜けていて、夏でも時として震えが来た。



     炳五にとっては、洋館の金井写真館は外側も内側もまるで魔法の箱のように見えて、見飽きることがなかった。日本にはたぶんどこにもない、奇妙な飾りや宝石がちりばめられた燭台。曲がった木で組まれた椅子には、高い背もたれに複雑な模様の透かし彫りがほどこされている。なんでもない本箱にも、秘密の鍵か隠し箱が潜んでいそうで、異国の香りがぷんぷん匂った。

    「いいなあ、アメリカだなあ」

    「なんだよ、それ。新潟女学校だった時の宣教師はアメリカ人だったらしいけど、ウチはそのあと全面改装してるからな。アメリカ風とは違うかもしれないぜ」

     あまり会ったこともない人だが、父の妹はどんな気持ちで女学校に通い、青い目の宣教師にどんな思いをいだいただろう。想像していると、あれやこれや妖しい妄想がふくらんでくる。

     以前、坂口家のほとんど使われていない部屋で見つけた革表紙の洋書を思い出す。英語だったかどうか、どんな中身なのかは、炳五にはわからない。でも、ページをめくっていくと、いくつもの挿し絵が目に飛び込んでくる。描かれているのは一目で異人とわかる人間ばかり。帽子をかぶり背広を着た髭もじゃの紳士が2人、向かい合ってピストルを構えている。決闘の場面らしい。西洋の栞(しおり)が挟まったページには、椅子にくずおれて泣き伏す美女の絵。スカートの襞まで細密に描かれた絵は、悲しげで艶めかしく、禁忌の恋と罪の匂いが漂っていた。

     その洋書が入っていた小箪笥(こだんす)の抽斗(ひきだし)には、アラビア風デザインのトランプもあったし、紙切りナイフには二角帽子をかぶったナポレオンらしき男の顔が付いていた。

     あれは叔母の忘れ物だったのではないか。というより、忘れようと努めて忘れきれなかった、悔恨の品々ではないのか。炳五の妄想は大人びてエスカレートする。叔母は異人の宣教師を密かに恋し、恋心の熱さをもてあました末に修道女になろうとした日々もあったかもしれない。キリスト教と異人の神父と神に身を捧げる旧家の娘――。

    「アメリカの宣教師は、異人池のとこの天主教教会とは宗派が違ったそうだね」と五郎が言う。

    「へえ、キリスト教にも宗派があるのかい。教会の神父はドイツ人だっていうけど」

     幼い2人には何もわからないが、キリスト教そのものに異国情緒を感じていた。「宗派が違う」というのもなんだか謎めいて神秘的だと思う。



     砂丘とポプラの森に囲まれた異人池も2人には格好の遊び場だった。

     池のほとりの教会は1908年の大火で一度焼けてしまったが、何年もたたずに新しい会堂が建てられたので、白く塗られた外壁も三角屋根もピカピカ光っていた。教会と並んで、何軒かの異人屋敷も建っている。教会からは時折、オルガンの音色に合わせて神父たちの合唱する声が聞こえた。異人の家族を見かけることはほとんどなかったが、異人池はいかにも異国の池らしく、不思議なファンタジーを感じさせた。

     池のふちで釣りの真似事をしたり、水辺の昆虫やカエルを捕まえたり、相撲をとったりしていると、すぐに日は暮れた。

     ある日のこと、2人は池のほとりで青い目をもつ金髪の少年に出逢った。五郎がはしゃいで炳五のヒジをつつき、その瞬間、少年はサッとこちらを振り向いた。炳五は思わず「あ」と声をあげる。同い年ぐらいと見えた青い目の少年は、みるみる険しい目つきになり、プイと顔をそむけて立ち去りそうにする。

    「おまえ、どこの子だ?」炳五が慌てて問いかけると、

    「何が可笑しい!」少年は挑みかかるように言う。

    「誰もおまえのこと笑っちゃいない。ただ、友達になりたいと思っただけさ」

     少年の表情が一瞬ゆるみ、すぐにまた口元がきつく結ばれる。

    「どうしてオレなんかと。オレがガイジンだからか?」

    「いや、そんな――」

     五郎が言い訳しようとするのを制して、炳五が答える。

    「ああ、そうさ。スゴイと思ってな。おまえの青い目、カッコいいぜ」

     少年はすぐには打ち解けなかったが、2人がそばに座ることを許してくれた。

     ぽつりぽつり話してくれたところによると、少年は実はハーフで、日本人の母親と二人暮らしだという。父親はアメリカ人らしいが、物心ついた時には日本を去っていたので、彼の記憶にはない。年上の子らに出逢うといつもいじめられるし、この世界のすべては、自分の敵だと思っていた。

     そんなふうに言う少年に向かって、炳五はアメリカ人宣教師の学校に通った叔母のことを話し、五郎はその学校だった家に住んでいることを話した。

    「オレたち、出逢う運命だったのかもな」炳五の笑顔につられて、五郎も少年も笑った。

     別れ際、またここで逢おうと約束したが、それ以後、五郎は一度も逢えずに終わり、炳五は半年ほど後に一度だけ、ここで偶然逢うことになる。



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