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    小説坂口炳五

    七北数人

    4 忍者になりたい

     年号は大正に変わり、炳五は小学校に入学した。何か新しい世界が開けるんじゃないか、とかなり期待していたのだが、学校の授業はつまらなかった。3年に上がるまで、勉強らしい勉強の時間といえば、読み方、書き方、綴り方と算術しかない。新聞や講談本を毎日楽しみに読んでいる炳五にとっては、当たり前のことばかりでバカバカしかった。

     修身の時間には、やけに甲高い声のじじむさい先生が、マジメくさって親孝行の話などクドクド喋りつづけるだけで、退屈なんてものじゃない、聞いていると腹が立ってくる。

     体操の時間だけは例外で楽しいが、体操以外の時間は、こっそり講談本を読んだり、ひとの帳面にイタズラ書きしたり、面白いなぞなぞを考えたりしてやり過ごした。それでも先生の話は耳半分でおぼろげに聞いていたので、突然当てられてもスラスラ答えることができた。先生はいつも炳五の鼻をへし折ることができず、納得がいかない表情で、憎らしげに睨んでいた。

     講談好きは相変わらず、というより、ますます昂じていた。それもそのはず、一冊一ヒーローを基本とする講談本の立川文庫から、いよいよ人気者の猿飛佐助が登場し、子供たちの間に一大忍術ブームがまきおこっていたのだ。

     佐助が真田幸村の家来になったばかりの頃、巨体の清海(せいかい)入道が生意気な佐助を布団でグルグル巻きにしてやろうと罠にはめたつもりが、気がつくと清海自身が布団でグルグル巻きになっていた場面など、炳五は痛快さに小躍りし、何度も読み返したものだ。

     神出鬼没、やりたいように敵を翻弄したあげく、アッという間に姿を消す。思わぬところからカラカラと佐助の笑い声が聞こえて、それっきり。まだ少年なのに、真田十勇士の誰よりも強いのだ。この先どこまで強くなるんだろう。あれやこれや想像するだけでも毎日が楽しかった。

     駄菓子と一緒に子供の本なども置いてある店で、炳五はある日、魔法のように胸躍る本を見つけた。この方法で君も忍者になれる! というキャッチフレーズの忍術修行の「実用書」だ。坂口家では子供に小遣いを与えない教育方針だったので、炳五は十数人分のお菓子を家からこっそり学校に持ちこみ、それを同級生たちに売りさばいて本代にした。本を買ったその日から一つ一つ、修行の実践を始めた。

     体力には自信がある。相撲はもちろん、水泳でも徒競走でも木登りでもボール投げでもトンボ返りでも、同年代の誰にも引けはとらない。しかし忍術教本によれば、ただ走るだけでも人間ワザとは思えないスピードで走らなければならなかった。頭に5メートルぐらいの長さのハチマキをして、そのはじが一度も地面につかないように走りとおすのが修行第一課だ。

     これが簡単にできるようになると、分身の術が可能になる。原理はこうだ。敵のまわりを目にも留まらぬ猛スピードでグルグル走りつづける。その途中、コンマ数秒ずつ急停止すると、停まった地点にだけ人がいるように見える。6箇所で停止すれば、6人の分身が出現するという寸法だ。

     炳五はさっそく5メートルのハチマキを締めて、浜辺を走りはじめた。しかし、通りがかる人たちがみんな笑う。知らない上級生たちがゲラゲラ笑いながら「あれは人間タコ揚げか」などとバカにする。その時はさすがにそいつを追いかけたが、ハチマキはズルズルと地面を引きずるばかりで、なかなか修行も一筋縄ではいかないことがよくわかった。壁登りやジャンプなども大半、人間並みでは無理なことが書かれている。

     隠れ蓑の術などは、事前に隠れ場所を決めて、たとえば岩の多い所なら、大きな布に岩の絵を描き、本物の岩と見分けがつかないぐらい上手に色を塗っておく必要がある。おまけに、地上にいるかぎり人間一人分の出っ張りは隠しようがない。これが成功するためには、全身を隠せるだけの穴を事前に掘っておいて、その上で隠れ蓑をかぶるとか、それこそ途方もない作業が必要で、とうてい「実用的」とは言えなかった。

     水遁の術は、浅く潜水して、フシを抜いた竹を口にくわえ、これを水面に出して呼吸する定番のワザだ。これなどは修行の必要もないぐらいだったが、素潜りでかなり長く潜っていられるので、いつ何のために竹をくわえてなきゃいけないかが問題だった。

     撒(ま)き菱(びし)や手裏剣などの武器は完全に「実用的」で、敵に対して有効なのは間違いないが、戦争でも起こらないかぎり、使用する機会はない。

     結局、役に立ちそうなワザはほとんどなく、毎日遊びで相撲や水泳、野球、カケッコなどしているのが忍術修行には一番らしいという結論になった。



     忍術修行の気持ちはもう薄れていたが、水泳は夏の楽しい日課だった。この1913年は7月上旬まで冷夏でなかなか泳ぎに行けず、四兄の上枝と二人でしょげ返っていると、長兄の献吉がニコニコ笑いながら部屋から出てきて、「野球でもやるか」と誘いかけた。

    「やるやる!」炳五は真っ先にバットをつかんで立ち上がった。

     たまたま里帰りしていた五姉のセキが、呆れた声を出す。

    「献ちゃ、勉強は大丈夫かね」

     献吉は早稲田大学の政経学科をめざして受験勉強のまっ最中だ。

    「たまに体を動かすと、血のめぐりがよくなって、結果、勉強もはかどるのさ」

    「たまにが毎日だからねえ。ほんとにノンキ屋さんだよ」

     セキは炳五が幼稚園に上がる前に松之山の村山家へ嫁いでいったので、13歳下の炳五にとっては叔母さんみたいな存在だったが、セキより2歳下の献吉や4歳下のアキにとっては、幼少期の思い出を共有する懐かしい姉だ。

    「大丈夫よね、献ちゃまは」アキが笑いながら口をはさむ。「のんびりしてるように見えて、自分で立てた計画は絶対曲げない人だから。勉強の時間も遊びの時間も、全部スケジュール表に予定が組んであるの、私見ちゃったんだ」

    「なかなか予定どおりには行かないけどね、実をいうと」献吉はちょっと舌を出して、弟たちのあとを追った。



     7月半ば以降は陽も強くなり、上枝と炳五は冷夏だった分をとりもどす勢いで毎日2回ぐらい泳ぎに行った。

     浅瀬のあたりでは、面白いようにハマグリが採れる。潮干狩りで採ってる親子連れなども見かけるが、素潜りして採ってくるハマグリはモノが違う。大きさも旨味も格別だ。胸いっぱい空気をためこんで、数メートルの深さの海底をのぞく。ハマグリの多い場所はすぐ目に入ってくる。採りはじめるとみんな砂に潜ってしまうけれど、隠れた場所はもうチェック済みだ。砂の中をざっとさらえば、ガラガラと両手に入ってくる。

     網袋がいっぱいになるまでハマグリを採っていると、ときどき時間を忘れて夜になってしまうこともあった。たまたま兄が一緒に来られなくて、一人で潜っていると、知らぬ間に時が過ぎてしまう。ハマグリ大好きのオッカサマが喜ぶだろうと思うと、もう少し、もう少しだけと、つい思ってしまうのだ。

     ひとりきり、陽が沈んだ海に潜ると、全身が薄青い闇にくるまれて、魂が少しずつ体外へ溶け出ていくような感覚が起こる。ぬるぬると温かく、うっとりと安らかな気持ちになる。快感が頭のどこかを麻痺させて、時間を忘れさせるのかもしれない。

     ずいぶん夜も更けて帰った時には、さすがにアサにひどく叱られたが、その時は物置きに入れられるほどの怒りではなくて、ホッとしたものだ。

     炳五の腹違いの姉ヌイが山辺里(さべり)村から遊びに来ていたから、アサの機嫌がよかったせいもあった。



     仁一郎の先妻ハマは、三女のヌイを産んで2週間後に死んでしまったので、ヌイにとって母と呼べる人はアサ一人しかいなかった。大様なところと厳格なところと両面をもつアサは、継子の上ふたりは懐かないので嫌い、いつもきつく当たっていた。

     対照的に、ヌイとは不思議なほどウマが合った。というより、幼いヌイがアサに合わせていった面が大きい。ヌイは幼くして人の気持ちを敏感に察する子だった。常に、アサとの関係を一番に考え、あらゆる場面で自分の気持ちをアサの気持ちに接近させた。自分の微妙な立場をわきまえながら、アサのことを本当の母として慕い、母のためなら何でも言うことをきく、自分に課した幼い掟があった。決して口には出さなかったその掟が、折にふれてアサには痛々しいように伝わり、これは凄い子だ、と小さなヌイを尊敬していたのだった。

     次々生まれるアサの実子たちのことも、ヌイはみんなを平等にかわいがったから、アサが大ざっぱで愛想がないぶん、みんなから第二の母のように慕われていた。もちろん炳五も、17歳上のこの姉が大好きだ。

     アサはアサで、ヌイのためなら何でもしてやろうと思う。自分が大事にしている着物でも、ヌイが欲しがればその場であげてしまう。もらうヌイよりも、あげるアサのほうが嬉しくてたまらない感じだった。

     そんなふうだから、この2人の関係はどこまでも良好度を増していく。

     炳五が遅くまで泳いでいた日、昼過ぎから遊びに来ていたヌイは、炳五へのおみやげに少年向けの物語本を何冊か持ってきてくれた。

    「おまえは忍者や剣豪が好きだって言ってたから、こんなのはどうかと思ってね」

    『西遊記』『太閤記』『太平記』等々、いかにも炳五の好きそうな本ばかり。炳五はその夜のうちに、まずは『西遊記』を手にとってパラパラめくりはじめた。

     忍者よりもはるかに巨大なスケールの奇想天外な物語。たちまちとりこになり、読むのをやめられなくなった。講談と同じ、というより、その原型のような、混沌とした不思議な面白さがある。猿飛佐助は孫悟空をモデルにしてるんじゃないか、と炳五は思う。すると、三好清海入道は猪八戒か。霧隠才蔵が沙悟浄かな。真田幸村は三蔵法師、うん、これで決まりだ。筋斗雲に乗って天空をひとっ飛びに駆け抜ける孫悟空に憧れ、またまた「忍者になりたい病」がぶり返してくるのを自分でも可笑しく思いながら、読みふけった。