坂口安吾デジタルミュージアム

HOME

安吾コミュニティ

    小説坂口炳五

    七北数人

    6 わんぱく戦争

     授業そっちのけで遊んでばかりいた炳五だが、小学1年次も2年次も成績は学年3番以内の優等生だった。特に1番になりたい気もなかったので、相変わらず予習も復習もせず、宿題も大体すっぽかして先生に叱られる日常には変わりはない。

     3年生の授業時間中、炳五はおもにケンカの勝ち方を研究していた。隣町の小学校からわざわざケンカの遠征に来る悪ガキたちがいて、炳五たちは格好のライバルと目されていた。相撲が強い炳五は、自然にガキ大将の位置に押し上げられていたから、とにかくよそ者を追い払い、皆を守らなければいけない。町に平和を、の心意気だ。

     研究資料はもっぱら講談本だが、ヌイにもらった本も役に立つ。『太平記』の楠木正成が、籠城戦で上から大木や岩を投げ落としたり、熱湯をかけたり、果ては糞便を落としたりする奇襲戦法には大笑いした。『太閤記』の秀吉は逆に、城攻めの天才だ。火攻め、水攻め、兵糧攻め、すべてに綿密な計画があり、戦略を組み立てる面白さにウーンと唸ったものだ。正成と秀吉が戦ったらどうなったか、ありえない空想をするのも楽しい。

     そのうちに果たし状が来た。場所は互いの町の中ほどに位する丘の上。双方10人ずつ出して決闘しようという。

     勝っても負けても何かが変わるわけではない。もともとそんなに隣町へ行くことはないし、子供が町を牛耳っているハズもないので、これはただの面子の問題だった。それに、ここで勝てば、隣町のヤツらがケンカを吹っかけに来る回数は減るだろう。町に平和を、は伊達じゃない。実利を伴うのだ。

     炳五は地図を書いて作戦を練った。敵をこっちの領土へ少しずつ引き寄せ、あらかじめ仕掛けておいた罠で一気に始末する。

     放課後みんなを集めて、決戦前日までに準備すべきことを一人一人に指図した。怖気づいて「その日はおつかいを頼まれてて」とか「勉強しないと叱られるから」などと逃げ腰になる者も出てきたが、1人の脱落を許せば、それだけで気持ちもバラバラになってしまう。炳五は厳しい顔で「ダメだ」と拒絶した。「来なければアトでひどい目にあわせるぞ」と鉄拳制裁のポーズをとってから、ニッと笑った。「そのかわり、こっちは無傷で勝つつもりだから、まあ安心して来いよ」



     決戦の日、炳五たちは全員、木刀代わりの太い枝を腰に差していた。やって来た隣町のヤツらもほぼ同様の格好だ。

    「よく逃げずに来たな、坂口」

    「当たり前だ。おまえらをぶちのめす絶好の機会だからな」

    「この野郎。二度とデカい口きけないようにしてやる」

    「よし、じゃ始めるか」

     炳五が振り向くのを合図に、全員が数歩さがって、帯に結わえてあるパチンコを手に取る。Y字型の木の枝先にゴム紐をひっかけた投石器だ。

     炳五たちがさがったので、敵はつられて前へ走り出てくる。

     狙いを定めて、一斉に弾を打った。弾には、辛子や胡椒を練り込んだ小粒の泥団子をたくさん用意してあるのだ。これが顔のあたりで破裂すると、辛い粉が目にとびこんで、敵は一気に戦意を失ってしまう。オオーッと雄たけびを上げ、敵陣に飛びこむかと見せて、少しずつ後方へさがっていく。怒った敵が遮二無二攻めてくると、また辛子爆弾を放つ。この繰り返しで、かねて用意の落とし穴へと誘いこんだ。

     交代で何日もかけて掘った大きな穴には、前日にたっぷり水を溜めてある。これにゴザをかけ、うっすらと土を振りかけてあった。まんまと罠にはまった敵軍が、面白いように穴になだれ落ちて水浸しになったところを、上から思い思いに棒でたたきのめす。

     結局、炳五の宣言どおり、自軍はケガ一つしないで敵軍をボコボコにやっつけて、あっけなく勝負は決した。

    「卑怯な手ェ使いやがって。これで終わったと思うなよ」

     敵軍大将の高島は、殴られながらも悪態をつき続ける。

    「まだ懲りないのか。根性だけは凄いな、おまえも」

    「この次はオレたちの町で勝負だ」

    「バカ言うな。罠を仕掛けてるに決まってる敵陣にわざわざ出向くバカはいない」

    「じゃ、また同じ丘の上でなら、どうだ」

     炳五は少し考えて、答えた。

    「やるなら次は、一対一だ。おまえとオレと、相撲で決着をつけるってのはどうだ?」

    「よし、いいだろう。相撲で勝負だ」

     炳五は棒たたきの刑を終了させ、高島を穴から引っぱり上げてやった。

    「まだ元気そうだな、高島。どうせなら今、やるか?」

    「おう、望むところだ」

     こういう成り行きで、皆ぞろぞろと丘の上へ戻った。草履で土の上にまるく線を引き、土俵とする。

     2人とも相撲用のまわしは締めていないので、はじめは着物姿のままぶつかり合い、互いの帯をつかんだ。簡単にひねってやろうと思っていた炳五だが、高島も手ごわい。あちこち強く引っぱられて着物が破けてくる。膠着状態がつづくうち、高島が悲鳴を上げた。

    「わあ、暑くてたまらんな」

    「ホントにな。フンドシ一丁でやるか」

     そのうちに他のみんなも、一丁やるか、とフンドシ一丁で相撲をとりはじめて、なんだかにぎやかな楽しいケンカになっていった。

     行司もいないので、どっちが勝ったかもわからないまま、高島と2人、疲れ果てて地面に寝そべった。

    「今度、浜辺で相撲大会でもやろうか」と高島が言う。

    「おお、いいな。相撲でもケンカでも、受けて立つぜ」

    「いやあ、あの辛子爆弾と落とし穴は、もうこりごりだ」

    「アハハハ」

     2人とも大笑いして、空を漂い流れる雲を見るともなく見ていた。火照った体に風が気持ちいい。

    「おまえ、あんな戦法、どこで覚えたんだ?」

    「ん? 落とし穴なんか戦法と呼べるほどのもんでもないだろ」

    「いや、それだけじゃない。万全の準備とかさ、計画通りに一斉に動いたり、オレたちを誘い込んだりするタイミングのうまさとか、本物の戦争みたいだと感心したよ。今日は完敗だった」

    「そうか。そう言われると嬉しいな。でも、ほとんど講談から仕入れたもんだよ」

     高島は炳五の涼しげな顔をまじまじと見て、プッと吹き出した。

    「おまえは自由だな。なんにでもなれそうだ。やっぱり将来は大臣志望か?」

    「将来か? まあ何でもいいけど、でっかい人間になりたいよな。大臣でも大将でも」

    「オレは海軍大将になると決めてる」高島は力をこめて宣言する。「日露海戦の大勝利以来、日本の連合艦隊は世界にその名を轟かせた。いわば日本軍の頂上部隊だ。その総司令官になるのが夢さ。坂口は海軍大臣になって、戦略を練ってくれるといいんだがな」

    「凄い小学生だな、おまえは。ビックリするよ。オレは将来のことなんて、まだ本気で考えたことはないな。なんとなく大臣や大将とは思ってたけど、飛行家になって世界記録に挑戦したい気持ちもあるし……」

    「飛行家か。それもいいな。飛行機はこれからの戦争で主力になると言う人もいる」

    「数年前までは、忍者になりたいと思ってたんだ」

    「ハハハ、子供だ、そりゃ」

    「オレの親父が政治屋だから、先に親父が大臣になっちまうと、跡継ぎで大臣になるのはカンタンで、なんか大臣もイヤな気がする」

    「じゃ、おまえは陸軍大将になれよ。オレの海軍と組んで世界に打って出よう」

     高島はどうしても軍隊のほうに引き込みたいらしい。炳五は苦笑するしかなかった。

    「とりあえず、今度の相撲大会だ。海軍には負けないからな」

     その日以来、高島とはときどき相撲をとる友達になった。



     それから数日後、恰幅のよい髯もじゃの男が坂口家を訪ねて来た。母アサの兄だという。アサの実家吉田家は五泉町(ごせんまち)の大地主なので、当主の兄久平(きゅうへい)とはふだん会う機会はないが、坂口家に程近い刑務所の向かい角に吉田家別邸があった。別邸には炳五の従兄に当たる男が住まっているので、そこへやって来たついでに妹の顔も見に来たということらしい。

     たまたま家にいた炳五も、アサに呼ばれて挨拶に顔を出したが、その目が妙に青いのに驚いた。鼻はユダヤ人に似た鷲鼻だし、炳五自身も鷲鼻なので、ユダヤの血が自分にも流れているなら面白いゾと思ったのだが、あとから聞いた話ではただの体質らしい。

     でも、会った時の伯父の顔は、外人というより怪人っぽく感じられた。この怪人は炳五の顔をじろじろ見て、「おまえが有名なわんぱく坊主か」と言い、ニヤリと笑った。何かの共犯者めいた笑い方で、背筋が冷やりとする。

    「面白い人相をしとる。ここに座って、顔をよく見せてみろ」

     しぶしぶ座った炳五の顎や頬を、いかつい掌でグイグイひねくり回す。

    「痛いよ」炳五は反射的に身をそらせ、怪人の顔を睨みつけた。

    「おまえはな、とんでもなく偉くなるかもしれんが、とんでもない悪党になるかもしれんぞ。うん、どちらにせよ歴史に名をのこす相だ。実に面白い」

     青い目の伯父はそう言って、またニヤリと笑った。

     不気味な男が放った不気味な予言は、呪文のように炳五の頭にしみついた。

     偉くなりたい、でっかい人間になりたい、そう思う炳五は、未来への期待と興奮で胸が高鳴るのを抑えきれなかった。