坂口安吾デジタルミュージアム

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作品紹介

「家康」

 1947年1月、中篇『二流の人』刊行と同じ月に発表された徳川家康の評伝。

 これを初めて収録した刊本が“短篇小説集”だったこともあって“小説”に分類されてきたが、ほとんど小説の要素はない。全篇が人物分析に終始するという意味では、後年の『安吾史譚』に通じる書き方といえる。

『二流の人』にも家康は少なからず登場するが、その中では修羅場をくぐり抜ける必死の場面に光が当てられ、「この人ぐらゐ図太い肚(ハラ)、命をすてゝ乗りだしてくる人はすくない」「稀有なる天才の一人であつた」とかなり好意的な書き方になっていた。

 しかし、天下を設計する家康の心がどんなだったか、ここからは見えてこない。如水や秀吉、直江兼続らともかかわってくる政治家としての家康を、一度自分の中に作り上げておく必要がある。安吾はそう考えたのかもしれない。いずれ信長や秀吉を書く、その時のためにも、と。

 面白いのは、袋の鼠となった石田三成が敵の本陣である家康の邸へ逃げこんだ一件の心理分析。安吾はさまざまな伝説をほとんど採用しない。家康はただ単に「温和で、モグリのできない人」だから三成をかくまったのだ、と読む。裏の裏まで計算したどす黒い策謀だったとか、未来を全部見通していたかのような伝説は「後世の作り話」で、ありえないと斬り捨てている。

 こういう観点で家康の全部を俯瞰してみると、安吾にとっての家康はこうなる。

「政治家としては新味もなく政策も平凡な保守家で、ただ間違ひがないといふ点で結局保守党の領袖にはなる人であつたらう」

 一定の評価はするが、好きじゃない。『二流の人』で褒めた分を帳消しにする冷たさだ。

 最後の最後、天下とりの詰めにおいても「泥くさい不手際でかすめとつたといふのは、彼はつまり凡そ人の天下をとるにふさはしくない場違ひ者であつた証拠である」とまで、こきおろしている。

 信長、秀吉の一代記がもし完成していたとしても、家康の長篇化はなかったに違いない。

  

(七北数人)