坂口安吾デジタルミュージアム

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作品紹介

「スタンダアルの文体」

 1936年、「吹雪物語」の原形となる長篇に集中していた頃のスタンダール論。

「私はスタンダアルが好きである」と始まるから、どれほど好きなのかと思って読んでいくと、面白いのは文体だけらしい。人間の描き方は古くさく「平凡」だと落とす。

 それでも、戦後のエッセイ「現代とは?」のようにスタンダールを全否定することはなく、本作ではまだ「好き」にとどまっている。

 当時、安吾は竹村書房の企画顧問として『スタンダアル選集』全7巻を企画、4巻まで刊行中だった。まだ翻訳のなかったマイナーな作品や日記、書簡などをあつめたマニアックな選集である。それほど安吾にとって興味深い、研究すべき作家であったわけだ。

「結局彼は、文学の野人であつた。彼には伝統も不要であつた。彼の文学の興味は非常に筋書的な線的な興味で、性格描写なぞにはてんで情熱がわかなかつたのであらう」という。代表作「赤と黒」の主人公ジュリアン・ソレルの性格がアンバランスな感じだったのは、そういうことだったかと思い当たる。

 性格が初めから固まっていると、その人の行動も限定されてしまう。そもそも誰がこの性格、彼があの性格なんて、人間はそんな単純なものではない。それまで自分でも知らなかった性格が不意に現れて、周りは大混乱、なんてことも往々にしてある。

 安吾はこの時、無限に開かれた長篇を考えていたのだろう。あらゆる人間が無限に変貌しうる。無限の可能性を秘め、無限の未来がある。

 ふりかえって安吾の長篇をみると、「吹雪物語」も「火」も「街はふるさと」も、まさにそんなふうに、先は混沌としている。思いがけない出来事の連続で、誰もが定まりなく彷徨し、同じように虚無の深淵に立つ。人物像の性格の区別のなさは特筆モノで、「非常に筋書的な線的な興味で」グイグイ引っ張って行こうとする作者の強い意志が感じられる。

 従来の文学のマンネリズムを打ち破りたい! 安吾はその最善の方法をスタンダールの「文体」に見つけ、登場人物たちを野に放った。彼らが自らの自由意志で動きだすとき、本当に新しい人間の型が創造され、スタンダールの作品など軽々と超えてしまうのだ。

  

(七北数人)