坂口安吾デジタルミュージアム

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作品紹介

「大阪の反逆」

 織田作之助の追悼文でありつつ、既成文壇への強烈な批判ともなるエッセイ。初出誌に副題はなく、単行本収録時に「織田作之助の死」と副題が付いた。

 2019年2月、日経の本多俊介氏によって発見された安吾全集未収録エッセイ「織田の死」(『時事新報』1947.1.12)は、1月10日の織田の死去を知った直後の追悼文だった。その8日後にも「未来のために」で織田を追悼しているので、本作は3番めの追悼文となる。

「織田の死」がいちばんストレートに織田の文学を讃えていて、「才筆は谷崎以来、そして、谷崎以上」とまで記していた。織田が無頼派座談会の筆記録に、自分がバカに見えるような書き足しをして読者を楽しませた話も「織田の死」が初出である。

 主旨は3作とも同じ。志賀直哉や永井荷風らを盲目的に礼讃する文壇ジャーナリズムへの反撃であり、真の文学とは何かを本質的に論じたものである。織田も太宰も、同じ気概をもって共に戦っていける同志だった。

 そういう観点から織田の代表的なエッセイ「可能性の文学」や「二流文楽論」を読むと、これらは織田にとってマイナスになると安吾は考えたのだろう。マイナス点を訂正しておこうとする熱意の文章が、ところどころ織田批判のようになってしまっている。

「二流文楽論」は、文楽に事寄せて文学を論じたエッセイで、外国の古典文学のいくつかを一流とみると、日本はすべて二流、ならば二流に徹するべきと説いたものだ。

 安吾はこれに対して「二流などと言つてはいかぬ。一流か無流か、一流も五流も、ある必要はない」と強く主張する。他と比較してしか自分を測れない者は、絶対にその「他」を超えられない。黒田如水が「二流の人」なのは、比較する人だったからだ。

「可能性の文学」でも織田は、坂田三吉の奇をてらった「端歩(ハシフ)」の一手を褒め、これを「無気力なオルソドックス」への反逆例とした。これも安吾には気に入らない。反逆は、真の文学精神から生まれる絶対の妙手でなければならない。奇襲戦法ではダメなのだ。

 座談会の時、無頼派の面々を「デフォルメ」と呼んだ平野謙に太宰が真剣に怒りをぶつけたように、安吾もまた自分たちこそが正統であり、世界文学の頂点をめざす自負があった。だから織田の「二流」宣言は、納得がいかないのだ。嘘だと言ってほしいのだ。

  

(七北数人)