坂口安吾デジタルミュージアム

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作品紹介

「パンパンガール」

 パンパンと呼ばれた戦後の街娼たちに取材したエッセイ。のちの「安吾巷談」などへ連なっていく世相ルポルタージュの先駆けといえる。

 取材したのは1947年夏、有楽町。談話の一部は「或る会話」と題して『週刊朝日』8/24号に発表されたが、「或る女」と安吾との対談とされ、無駄な部分だけを選んで録したようなヒドい内容だった。口調も用語も、絶対に安吾が訊きそうにない訊き方になっていた。

 実態はまるで違って、非常に面白い話がいっぱい聞けたことが本作を読むとわかる。「土地の親分」の案内で「彼女らのタマリ場の喫茶店」へ赴き、たまたまそこへ来た5、6人と会話、それも訊き役はおもに親分だったらしい。

 パンパンの客は7割がた米兵とされるが、あんがい日本人も多く、取材相手のパンパンたちも皆、日本人の常連サンが相手だという。昔の、娼婦宿に縛りつけられた暗鬱な娼婦像とは打って変わって、彼女たちは楽しいからやっている。好きな時に好きなことをして稼ぐ、自由奔放でカラリと明るい娘たちの姿が活写されている。

「誰にも束縛されず、係累もない、青天井の下の自然児」は、安吾の理想とする生き方に近い。「天地帰一」「おのづから高風あり、爽快な涼気もある」とまで讃えている。

 もちろん、昔から明るい娼婦もいた。戦前の短篇「禅僧」には、山村の宿に「見るからに快活、無邪気、陽気で、健康な」娼婦がいたと書かれている。「母の上京」に登場する娘も明朗で優しい子だった。「二十七歳」で回想される「全裸になつて体操するのが大好き」な無邪気で明るい吉原の女給とは、一緒に流浪生活に入ることまで想像する。

 安吾はそんな彼女たちが大好きで、会談する前から「家庭の不健康さ」に対する「娼婦の世界の健康さ」を論じていた。「天性の娼婦」というテーマについて考え続けてもいた。

 つまり、この会談はもともと安吾の頭にあったテーマのウラをとった形になった。少し観念的に考えすぎていた部分が、より自然な形で開放された感もある。のちの長篇「街はふるさと」など、この時の取材がそうとう役に立ったのではないかと思う。

 本作の翌月にも、「男女の交際について」「娯楽奉仕の心構へ」などで「私は先日パンパンガールと会談したが」と前置きして、新しい娼婦の誕生を祝っている。

  

(七北数人)