坂口安吾デジタルミュージアム

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作品紹介

「ああ無情〔安吾捕物4〕」

『安吾捕物帖』の傑作選には必ず収録されてきた、人気作の第4話。変転する時代背景ゆえに歪んでしまった人間関係の悲喜劇を描く。

 殺された若い女ヒサは、実業家中橋英太郎の妾であり、医学生荒巻敏司の恋人でもあった。この中橋と荒巻が、なぜか共に、女剣劇の梅沢夢之助とも恋仲であったという。さらに、中橋家子飼いの女中からヒサの妾宅の女中に移った長田ヤス、ヒサにストーカーっぽくつきまとう台本書きの小山田新作、荒巻に手ひどく捨てられた看護婦の常見キミエ、と容疑者らしき人物がうじゃうじゃ現れる。

 しかも、彼らのうちの何人かは、十何年も昔に、一座を組んだ芸人とその縁者であり、アメリカ、プラジルなどへ巡業の末、いくつもの色恋沙汰から怨恨が生まれていた。

 シリーズ中でもとりわけ登場人物が多く、それぞれに過去の因縁をかかえているので、筋は二重に錯綜している。さらに途中で第二の殺人が起こるなど、長篇にしたほうが生きる展開だったかもしれない。

 おおむね容疑者の証言で話が進むので、芥川の「藪の中」のように、事実は微妙に重なり合わない。大勢の人物のそれぞれの因果話を全部頭に入れながら、真実がどれかを読み解いていくのは相当難しく、したがって犯人を当てるのは至難の業だろう。

 少しネタバレに気をつけながら書くと、クリスティの某有名作品のように、怨みがない人間をもカモフラージュのために殺すならば、犯人はよほどの殺人鬼として造型されなければならない。いかに謎ときがメインであろうと、徹底的な狂気を突きつめて描けていなければ、どうしても犯行動機に疑問が残ってしまう。短篇では難しいとは思うが、安吾は長篇でもその点には無頓着であった。

 そこが唯一の弱点といえるが、ワールドワイドな因果話に愛欲のもつれを複雑にからめた展開は、非常に壮大、かつカラクリは巧緻を極め、すべてを統御して書き進めた剛腕ぶりに圧倒される。

 なお、『安吾捕物帖』各刊本の序文は、連載時、本話の冒頭に付されたものである。

  

(七北数人)