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「散る日本」

 囲碁が大好きだった安吾の最初の観戦記は、意外にも将棋の名人戦であった。命をかけて勝負に挑む「人間」が見たかったので、専門的な内容はわからなくても気にしなかった。

 当然、盤面の展開を見ているだけではヤマ場はわからない。ならば、どうするか。棋士の一挙手一投足、表情の微細な変化から目を離さないことだ。指し手以上に、悪鬼のごとく凝視しつづける作家の目が、息苦しいほどに張りつめている。

 信長や壮年の武蔵の精神を讃え「実質だけが全部なのだ」と説く論法は、戦争中に書かれた「青春論」と同じだが、ここでは、勝負の鬼・木村名人の王位陥落と日本の敗戦がダブル・イメージでとらえられ、生々しく苦い実感を伴っている。

 木村が変な風格なんぞを重んじて鬼でなくなったように、日本も隊列の訓練ばかりに腐心したから負けたのだ、と安吾は言う。

 こうした安吾の考え方は「合理主義」とくくられることが多いが、その実、この言葉ほど安吾から遠いものもないのではないだろうか。

 勝つためには、あらゆる方法を考える。でもそれは、頭だけで計算して割り出せるような、そんなチンケなものじゃない。むしろ全く逆。

 素っ裸になって、どんなにブザマでも浅ましくても、一心不乱、生存本能のままに直観を駆使して戦うのだ。あらゆる瞬間がスキマなくギリギリ不可欠のものだけで満たされていれば、おのずと道はひらける。戦争も芸術も政治も、人生すべてがそうだ。安吾は常にそう言い続け、何ものとの衝突も恐れず、たった一人で戦った。

 安吾の「戦う」姿勢は、本作によって明確な形をもったと言える。

 
(七北数人)
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