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「枯淡の風格を排す」

 1935年当時、文壇の大御所だった正宗白鳥と徳田秋声をこてんぱんにやっつけた文芸評論。特に秋声に対しては容赦なく、これに怒った秋声門下の尾崎士郎が安吾に決闘を申し込んだのは有名な話(「私は誰?」「世に出るまで」参照)。「堕落論」より11年も前から、安吾はここまで徹底した権威否定をぶちまけていた。

 やり玉に挙がるのは秋声の私小説「旅日記」。その引用部分9行は、まさにアホらしさの極致を行くもので、安吾の言うとおり1行で十分な内容だ。小説における会話とは何のためにあるか、安吾は文豪秋声に向かって初歩の小説講義を行う。行間に心理の綾も何もない「この一齣(コマ)は無駄 であり、ひいて小説全体が小学生の綴り方以上の何物でもないのである」と。

 これは秋声の代表作ではないし、引用はたったの9行だが、枝葉末節の話と切り捨てられない。それどころか、その作家の核心をなす「作家精神」を問うているのだ。その魂が小学生以下だと論破しているのだ。

 新人のくせに先輩に対する礼はないのか、と思った人は大勢いたし、今もいるだろう。秋声その人よりもむしろ、権威あるものを盲目的に讃仰するエセ文学者たちを「排す」べきだと安吾は思っていた。平凡な日常報告や心理の裏も何もない稚拙な文章を「枯淡の風格」とヨイショする、その目の低さ・汚らしさを突いたのである。

 端的に言えば、「枯淡の風格」なんてものは、どこにもない。「政治家実業家あたりが人間修業と称して珍重」するインチキな外見でしかない。「風格」だの「品格」だの、そもそもそういう言葉が大嫌いな安吾であった。

 その日、逃げも隠れもせず決闘の場所で待っていた安吾を、士郎は一目で気に入った。以来、絶対的な信頼で結ばれた友となる。意気に感ず、というやつだ。直情径行、ギラギラした二人の男の出逢いに、「枯淡の風格」など一切まぎれこむ余地はなかった。

 
(七北数人)
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