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「風と光と二十の私と」

 自伝的小説群の中で最もしずかで澄明な印象のある秀作。

 数え年20歳で小学校の代用教員になった安吾の、型破りだけど筋のとおった教師ぶりが楽しい。決して熱血先生ではない。自分の苦手な科目は教えないし、悪いことをした生徒にも厳しく怒りはしない。いつも生徒の切ない気持ちを理解して、やさしく諭してくれる。こんな先生がいたらいいなと誰しも思う。

「本当の美しい魂は悪い子供がもつてゐる」「どうしても悪いことをせずにゐられなかつたら、人を使はずに、自分一人でやれ。善いことも悪いことも自分一人でやるんだ」

 名言もあちこちにあるが、それでも、これは教育者の小説ではない。先生は怒りはしないだけでなく、喜びも悲しみも欲望もない「老成と悟り」の境地にいた。安吾は不思議な異物をみるように当時の自分を見つめ、見つめることで過去へ還る。行雲流水の自分に同化して、心はウソのように透きとおっていく。作品世界がしずかなのは、そのせいだ。

 題名が象徴するように、無欲な心は風や光や樹々や雨とも一体化する。風景は拡散し、回想も拡散する。あらゆるものに同化する心をもって、不幸な将来をかかえた少女たちの心にも入り込む。かなしみの影に寄り添い、一少女との暗い道行きまで空想する。この絶対的な共感・共苦の方法は、たぶん「教育」とは違うものだろう。

 救いのように、あるいは悪魔のように現れる何人もの自分。かなしみ、苦しみもがく、野心に満ちた本当の自分が、老成や悟りを粉々にする。行雲流水の中には自分なんてなかったのだ。ドッペルゲンガーの群れは、押し殺されていた「自分」だった。

「私は少年時代から小説家になりたかつたのだ」

 言葉は痛くても、永遠の祈りとなって、作品世界にこだまする。

 

(七北数人)
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