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「真珠」

 1941年12月8日、真珠湾攻撃では戦闘機による空爆のほかに、特殊潜航艇による海底からの攻撃もあった。5艇に2人ずつ乗って出撃、1人は捕虜となったが、死んだ9人は志願して自爆特攻に出た英雄とされ、九軍神といわれた。

 当時の新聞記事は事実を意図的にゆがめていたが、ここでは事実を知ることに意味がない。むしろ知らないで虚心に読むほうがいいだろう。本作が執筆されたのは、翌42年3月6日に初めて九軍神が報道されて間もない頃である。九軍神のエピソードを挟みながら、開戦の日の自分や周囲のようすを身辺雑記風に綴っている。

 9人の決死行と自らの自堕落な生活とを対比させた作品と、よくいわれる。しかし穏和に飲んでいるだけなので、「対比」と見るにはコントラストが弱すぎる。命を捨てて突撃する若者たちの、壮烈で澄んだ精神に分け入っていくのだが、安吾はそこに理想の人間を見ているわけではないし、自分の平穏な日常を卑下してもいない。

 ここで描かれるのは、日常に落ちてくる霹靂だ。激烈なものが降ってくる、暗い予感。

 後になって聞き知った九軍神の決死の時間は、坦々として平凡だった自分たちの12月8日にもわずかながら、でも確かに、共有されていた。あちこちに澱む不安。黒い影。ムダ話の中にも緊迫した空気がしのびこむ。モーターの音にも空襲かと怯える。開戦のニュースに「涙が流れた」のはそのせいだ。

「堕落論」に描かれた空襲下の人々の透明な心情、死を前にした幻影のような明るさが、早くもこの時から広がり始めていた。対比もないし、どちらに偏った思想もない。九軍神に表される象徴的な「死」あるいは「決死」の時間が、日常のあちこちに染みている、そんな時代の心象を描こうとしているのだ。しかも同時代で。

 なお、九軍神のことを「あなた方」と何度も書くが、呼びかける文章ではない。私信の体裁でもない。ビュトールの『心変わり』(1957)や倉橋由美子『暗い旅』(1961)など特異な二人称小説の、小さな、しかし遥かに早い実験といえるだろう。

 

(七北数人)
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