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「道鏡」

 エッセイのような形で説き進めながら徐々に、小説としか呼べないものへ転じていく、心憎い構造の歴史短篇。

 推古以来の女帝を比較・概括しながら、至高の玉として造り上げられた女帝孝謙と高僧道鏡の関係へ踏み込んでいく。強固な愛と尊敬とで結ばれた道鏡と孝謙には、権力も富も、帝位すら、くだらない浮世のシミ程度にしか見えない。道鏡=陰謀政治家説や、愛欲に溺れて正道を見失った女帝という評価が通説だったのを、根底からくつがえす純愛説だ。

 だが、本作の執筆動機に挑発や衒奇をカングルのは筋違いだろう。安吾はひたすら、史書から聞こえてくる人々の心の声に耳をすませただけだ。

 史書は探索の手を広げれば広げるほど多面的になり、正解が見えにくくなる。同じ記述が多ければ真実であるとも限らない。安吾は謎だらけの史書を読み込み、人間一人一人の心に入り込むことで真実に行き当たろうとする。行動から読めてくる心の動きもある。心の向きが決まっていけば、どの行動が真実で、行動の意味が何だったかも見えてくる。

 ここまで来ると、史論はそのまま「小説」になる。

 のちに『安吾史譚』に組み込まれた「道鏡童子」では、「この女帝は終生童貞ではなかったかと近ごろ思うようになった」と記しているが、これはあまり安吾らしくない。

 童貞であったなら逆に「肉体」に苛まれたはずだ。ニセモノの清潔は常に、一層激しい姦淫の心にあえぐことを、安吾は小説の中で何度も書いてきたはずだ。

 愛欲にも心の底から迸る思いをぶつけて、真に崇高なものを見つけようとした本作の2人のほうが、確かな生を、正しく生きている。

「彼の心も、彼のからだも、女帝のすべてに没入してゐた。女帝は彼のすべてゞあつた」

 仏道に一心不乱に打ち込んだのと、それは全く同じ心のままだ。そのように、あらねばならない。女帝の「肉体」を描くことは決して冒涜ではなく、本物の、高い魂を発見する階梯であった。

 
(七北数人)
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