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「日本文化私観」

「堕落論」と並び称されるエッセイの代表作。太平洋戦争のさなかに発表された。

「法隆寺も平等院も焼けてしまつて一向に困らぬ」と言い放ち、小菅刑務所やドライアイス工場、軍艦、戦闘機などに美を見いだす論旨展開は、現代でもなお刺激的かつ挑発的に映る。ドライな合理主義とくくられることもあるし、芸術の破壊を標榜するダダや未来派、アナーキズムとくっつけて論じられることも少なくない。

 それぞれ頷ける点もあるが、本作の要諦からは遠い。本質は逆に、ものすごくウェットな感覚万能主義で、人間や芸術への愛と省察に満ちた建設的な提言と私には感じられる。

「俗なる人は俗に、小なる人は小に、俗なるまゝ小なるまゝの各々の悲願を、まつとうに生きる姿がなつかしい。芸術も亦さうである。まつとうでなければならぬ」

 あたりまえのことを真面目に、まっすぐに語っているだけなのに、それが挑発とみえてしまう社会のほうが本当は異様なのだ。

 固定観念はあらゆる国の文化に根を張っている。「誰か」が作ったお仕着せの美学を、みんな安心して絶対視し、美しいと賞讃しているが、そこには実感なんてない。

 本当の文化とは何か。安吾は京都や取手などで自分が体験したことだけを基に説いていく。ところどころ軽い旅行記風の記述になる、一見ルーズな構成だが、モーツァルトの音楽のように、一字一句どこも変えようがないほど緊密に構成・配置されている。

 曲馬団の踊り子だった娘のつらい回顧談に聴き入り、手放しで共感する。「そこには激しい実感があつた」からだ。一切の約束事からハズれたドサ回り芸人たちの芸には、舞妓のカタチだけの衣装や所作など及びもつかない必死さと、人間の郷愁がある、と言う。

 いわゆる伝統文化には、がんじがらめの「枠」がある。「枠」をはみだしてはミットモナイ。しかし、どんな芸術も及ばない大自然の美に「枠」はない。

 自由自在、様々な対比物を列挙し、「枠」と「激しい実感」とを軸に峻別していく、その感性の尺度には寸分のゆるぎもない。ひとりの自分がハダカで実感したことだけを書いているからだろう、評論文なのに一種凄絶で、身を切るような切なさがこもっている。

 
(七北数人)
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