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「私は海をだきしめてゐたい」

 安吾ファンにオールタイムで人気のある短篇。

 何よりもまず、タイトルがいい。テーマそのものを表していながら、シュールで詩的なイメージに幻惑される。

「戦争と一人の女」と同じシチュエーションで、不感症の女と「私」との虚無的な日常を描いたものだが、戦争の背景だけをすっぽり取り去っている。そのため「戦争」の属性を担っていた女の雰囲気は大きく変化し、ここでは「海」の属性を身にまとう。

 女のモデルは「二十七歳」に出てくる。「静寂で、無関心」な肉体交渉が好きだったと安吾は書いている。そのイメージは「戦争」よりも「海」が似合う。

「女の肉体の形をした水をだきしめてゐるやうな気持になることがあつた」
「私が肉慾的になればなるほど、女のからだが透明になるやうな気がした」

 水の連想から女が果物を食べるシーンなども加わって、よりエロティックに女体が息づき、なまめかしい触感が伝わる。そうして、より孤独についての物思いが深くなっていく。

 最後には「海といふ肉体」とからまり合う幻覚へと至るこの小説は、その方向性から自然と、初期の「ふるさとに寄する讃歌」などと似た散文詩ふうの味わいをもつ。

 やはり初期の中篇「竹藪の家」に、こんな一節があった。少し長いけれど引いておこう。

「水は人の心を広く安らかにするものらしい。水は寛大で又豊かで、全ての憧れや全ての疲れや、果しない彷徨に蒼ざめて航路を見失ふた心の帰る処であるのだらうか。水は一つの故里(ふるさと)であるかも知れない。水は悠々として永遠に流れ、永遠に帰り――その渺々たる水面に静かな陰を落すであらう漂泊の雲と共に、我々に永遠を感じさせる貴重な一つであるかも知れない。その果(はて)にもはや国は無いやうな心細さの湧いてくるとき、周囲には無限の無のみ感ぜられて身に触れる何の固体も想像を許さぬ絶望のとき、併(しか)し水はそれ本来の性質として常に温い愛情を人に与へ、他の何物に由つても医(いや)し難い冷酷な孤独を慰めて呉れるであらう。人はその苦しみの日に、洋々たる水を、又潺湲(せんかん)たる流れを眺めることに由つて和やかな休止にひたり得るであらう」

 
(七北数人)
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