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「未来のために」

 織田作之助の追悼文。1947年1月10日の訃報から10日後に新聞発表された。短文だが、数カ月後の「大阪の反逆」よりも要点が簡潔で、力強い。

 織田は喀血して倒れる直前に、安吾・太宰と語り合えたことがよほど嬉しかったらしく、絶筆になったエッセイ「可能性の文学」の中には、無頼派2先輩のハチャメチャな酔態が敬慕の念をこめて綴られている。

 同エッセイで織田は、本物の文学はロマンであり、人間の可能性を追求するもの、文学形式でも自由な可能性をもつものであると主張、志賀直哉らの「無気力なオルソドックス」を否定した。まさに安吾と同根の意見なのだが、いくらか韜晦した書きぶりで、特に志賀については個人攻撃にならないよう配慮した跡もかいま見えた。

 やり方がまずい、と安吾は思っただろう。織田の真摯な文学精神を守るためには、主張は苛烈なほどよい。安吾は昔ながらの率直さで「無気力なオルソドックス」を叩きのめす。追悼文らしくはないが、主張する内容が織田の援護になる。

「可能性の文学」というキーワードを、安吾は未来へ広がる魂の無限の進路として組み直す。

「まことの文学は、常に、眼が未来へ向けられ、むしろ、未来に対してのみ、その眼が定着せらるべきものだ。未来に向けて定着せられた眼が過去にレンズを合せた時に、始めて過去が文学的に再生し得る」

 安吾の自伝的小説を貫く原理はこれだ。志賀や徳田秋声らの私小説に足りないのもこれである。

 混沌として一寸先も見えない未来へ、人は、私は、いかに進むべきか、魂の問題を全身全霊、追求し続ける者だけが、可能性の文学を開く。希望も憧れも理想も祈りも、全部この中に入っている。日本文学に必要不可欠な主張を、安吾は誠実に述べているだけなのだ。ただ、未来のために。

 
   
(七北数人)
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