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「勉強記」

 東洋大学で印度哲学を学んでいた頃の自分を戯画化したファルス短篇。

 説話形式のファルス「閑山」から半年足らずで、またぞろ放屁小説である。発表誌は共に『文体』。チベット語の先生の奥ゆかしくも豪快な屁に、しぜん太宰治「富嶽百景」に登場する井伏鱒二を思い出したが、実は太宰のも同じ『文体』の2、3月号に分載された作品だった。井伏先生が「放屁なされた」のは作品の初めのほうなので、2月に発表された分に含まれる。「勉強記」は5月号。安吾は「富嶽百景」に触発されて、よしオレももう一発、と放屁先生を描いたのかもしれない。なにも屁に触発されんでも、と思うが――。

 放屁先生の退場後は、単行本収録時に書き足された部分で、少し作品の色が変わる。

 高僧たちの不自然な「温顔」と、逆に「肉体」ばかり意識される陰惨な暗さについて語り、「何代目かの管長候補」のあまりの低俗さを、笑うのも忘れて嫌悪する。

 末尾近く、イスラム教への勧誘にフラフラと迷いそうになるエピソードが出てくるが、同じ話が4年前のエッセイ「分裂的な感想」にも書かれていた。

「私の気持の大半はアラビヤの砂漠をこえ、メッカ・メジナへ辿らうとしてゐた」

 確たる理由はなく、コーランも読んだことはないのに、「半年くらゐ思ひきり悪く考へつゞけてゐた」という。同エッセイでは、「私は元来なんとなく宗教的な自分の体臭を感じることが多いのである。愉快ではない」とも記している。

 思えば栗栖按吉という主人公名も、クリスチャンをもじったものか。「ノスタルジイにちかい激烈な気持」で仏教、イスラム教への憧れを書いたので、バランスよくキリスト教も名前にふくめた、という感じがする。

 後半登場する親友の龍海さんは、絵を描くこと、そのためにパリへ密航すること、また恋をすることに、すべてを捨てて打ち込む。その姿はそのまま、本当はどの宗教にも身をゆだねられない安吾自身の「激烈な」求道の心を象徴するかのようだ。


 
   
(七北数人)
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