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「悲願に就て」

 安吾が考える“文学の本質”が熱っぽく語られた必読のエッセイ。

 読むたびに、その熱に当てられる。何度でも引用したくなる。

 多くの知識人たちが共産革命を信奉しはじめた時代、やっぱりそんな一員だったかとわかるジイドの「一つの宣言」批評に始まり、ラストでそれを完全に否定している。思想の土台となる「正・反・合」の弁証法も「単純な法則」と、一言で斬って捨てる。

 そこに「人間」がいない思想は所詮、空論にすぎないからだ。安吾のポリシーは、自分一人のカラダの内から湧いて出たものだから、どれほど科学的な証明をそなえていようとも敵ではない。どれだけありがたそうでも、ダメなものはダメだ。

 まだ20代で、「堕落論」と同じ主張を臆せず開陳している。実に剛毅! 気持ちがいい。

 切り立った崖の上から眺めわたせば、巷にあふれる文学作品のほとんどはニセモノだ。

 ここで批判の対象となるのは、改造社から鳴り物入りで発行されていた“新しい”文芸誌『文芸』に掲載された全小説6篇。半分は文芸時評の体裁だが、川端康成作品に出てくる「悲願」の語から、話はずぶずぶと深間へ降りていく。

 戦後も「教祖の文学」で、宮沢賢治の詩にこもる「悲願」を最大限に賞讃したように、安吾の考える真の文学は「悲願」から育つものだった。安吾版「一つの宣言」といえる。

「直接に何を祈り何を求めるといふ当(あて)さへもない絶対絶命の孤独感のごときもの」を安吾は「悲願」と呼び、「この漠然とした哀愁は畢竟するにその漠然とした形のまま死か生かの分岐点まで押しつめ突きつめて行くよりほかに仕方がない悲しさ」であるが、その分岐点で、生きるほうを選びとるところから真の文学は出発する、と安吾は考える。

 最後には無名作家、片山勝吉の鬼気迫る作品世界が紹介される。片山は同人誌『青い馬』からの仲間なので内輪ぼめと取られそうだが、そうではない。特異な心理に突っ込んだ貴重な試みと安吾は本気で感じていたようだ。一人の友が「死か生かの分岐点」で「生」を選ぶ文学へ進んでくれるように、安吾はそこにも小さな「悲願」をこめている。

 
(七北数人)  
 
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