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「わが精神の周囲」

 アドルム中毒からの快復をはかって、伊東へ転地療養に赴いた折の“自我”探索ノート。

 前半は東大病院神経科入院前後の長篇「火」の奇形な成り立ちと、病勢悪化の過程が描かれ、後半は転地直後の、一見ユーモラスな身辺雑記となる。

 同じ1949年10月発表の「小さな山羊の記録」と重なる部分もあるが、執筆時期は本作のほうが4カ月遅い。その分、退院後の病状や、記憶の曖昧な部分に焦点が当たっている。

「幻想的な回想」と自ら書くように、記憶のない部分をなんとかして埋めようとする努力が、不思議な時空を現出させる。記憶の変容は自我の崩壊に直結するから恐ろしい。

 だから、漫然と書いているように見えて、自分の精神のありようと向かうべき先を、そこここに確かめていこうとする意図がある。むだな回想は一つもない。「負ケラレマセン勝ツマデハ」の徹底した記録衝動と同じ精神がここにも流れている。

 あくどい温灸バアさんたちのエピソードは、明瞭な自意識を自覚した記録でもあり、世間の人がいかに精神病的であるかを逆に照らし出すタネにもなる。

 病中病後の面倒をみてくれた高橋青年のなにげない一言が、どの時点で自分が病気であったかの自覚に役立ち、自らの意志力のみが対処すべきやり方であったと得心するに至る。

 なんでもない日常のひとつひとつの出来事が、作者に一つの決意を促す。「仕事のためには死も亦辞せず」というギリギリの決意。その再確認だ。

 安吾は病気の原因を考える。すべて自分の心が決めた結果だ。何事もひとのせいではない。よんどころないシガラミでせざるをえなかったあれこれも、すると決めたのは自分だ。

「『仕事がすべて』という考え方が、すでに、あるいは不健康であるかも知れない。その場合には、私は、すでに言うべき言葉はない。たゞ知りつゝ愚を行い、仕事を遂げるだけのことである」

 安吾はこののちもアドルムやゼドリンに手を出すことがあり、その都度騒動を起こすのだが、すべて「知りつゝ愚を」おこなっていたから、あとを引かなかった。この時の潔い決意があったればこそ。二度と入院が必要なほどの中毒にはならなかった。

 
(七北数人)  
 
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