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「魔の退屈」

 空襲下の東京と、疎開の誘いも断って東京に居残った自分の、心の底を探った短篇。

 自伝的小説の系列では、矢田津世子と別れた1936年の出来事を描いた「三十歳」のアトということになるが、安吾自身が構想した自伝は「三十歳」までだった。

 本作は1945年の空襲の日々を1946年に書いたものなので、他の自伝的作品とは少しスタンスが違う。過去を振り返る自分と執筆時の自分との間にほとんど距離がないからだ。

 たび重なる空襲で荒廃した街のようす、人々の無心・放心の様は「堕落論」に描かれたそれと同じ。「堕落」の対立項が「道義」であるなら、そんな図式がまるで通用しないゼロ地点として描かれた虚無世界。そこには人間が存在しない、と、ここでは3回にわたって繰り返し書かれている。「堕落論」で最も誤読された部分だったのだろう。

 荒廃したゼロ地点に、「悪魔」が忍び込む。

 後半に出てくる女は、「二十七歳」の中で戦争中に遊んだと書かれている二人の女の一人、セックスだけに情熱を傾ける人妻のほうだ。もう一人の不感症の女のほうは「戦争と一人の女」などのモデルだが、フィクションでは二人の女が突き混ぜてあるようだ。

「この女はたゞ戦争に最後の大破壊の結末がきて全てが一新するといふことだけが願ひであり、破壊の大きさが、新たな予想し得ない世界への最大の味覚のやうであつた」

 こんなフレーズなど、「戦争と一人の女」に混じっていても違和感はない。

 女の中に悪魔がいて、それはまるで鏡のように、自分の中の悪魔をも照らし出す。

「悪魔といふものは、たゞ退屈してゐるものなのである。なぜなら、悪魔には、希望がなくて、目的がないのだ。悪魔は女を愛すが、そのとき、女を愛すだけである。目的らしいものがあるとすれば、破壊を愛してゐるだけのことだ」

 作品の主眼はここにある。作中では「悪魔の退屈」と書いてあるし、安吾が付けたかったタイトルは、本当は「悪魔の退屈」だったのではないかと思う。現状のタイトルでは「魔の踏切」みたいに、退屈自体が悪因縁ででもあるかと誤解されそうだ。編集者が「悪魔」の語感を色モノとして嫌ったのだとしたら、彼は少し「堕落」してみたほうがいい。

 
(七北数人)  
 
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