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「中庸」

 晩年、匿名小説として発表された“リアル・ファルス”の秀作。

 主人公は海軍上がりの雇われ村長「余」。その風変わりな一人称から匿名当てゲームの発想が生まれたのかもしれないが、発表誌翌月号の「創作合評」で早々に、安吾の小説に似ていると武田泰淳から指摘されていた。

 パッと見は「村のひと騒ぎ」をほうふつとさせる安吾得意のムラ社会ファルスだが、中身はあんがい重く不気味で、ムラの排他性とエゴイズムがむきだしになっている。

 小学校の若い女教師マリ子は、ふしだらで憎らしいというだけの理由で差別され、数々の虐待を受ける。家を追われ、宿直室に住み込むと床板をベリベリ剥がされる。

 読んでいても虫唾がはしるような村人たちのあくどさだが、マリ子はヤツらの悪意など屁とも思わない。むきだしの土間で藁にもぐりこんで眠ることをかえって喜びとするのだ。

「たたみに甘えるぐらいなら、恥辱に生きられやしない」

 その言やよし。まだヒッピーの存在しない時代に、無頼のフーテン娘はたった一人で戦うのだ。その破壊的な意気地ゆえに、物語はファルスよりもヒーローものの様相を帯びる。

 常に中庸の精神で事にのぞむ村長は、彼女に心底からの敬意を示し、「位」が違うとまで言う。そのとおり、村長の中途半端な親切は、彼女には逆ギレのタネでしかなかった。

 先の「創作合評」で、花田清輝が「中庸」とはこんなものだったかな、と儒学精神などもちだして、とんでもなくマトはずれな感想をもらす。泰淳も中村光夫も同感の意を示す。

 左翼系モラリストたちの目で見ると「現実との対決を避けている」小説と映るようだが、安吾のめざす小説に、社会的・政治的闘争など、用はない。めざすのは全力で生きる人間の、魂の力を描くこと。いつもそこに夢を託す。

 だから闘争などしなくても、ムラの悪意に対して負けることはない。負けるのは、フーテンのマリ子にだけだ。命を張った無一物の娘に、人間の最上級の「位」を見た、それを「中庸に敗る」と表現した村長の最後の心意気が、左翼の儒学者たちにはわからないのか。

 
(七北数人)  
 
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