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「幽霊」

 1952年8月、純然たるフィクションとしては、およそ2年の空白を置いて発表された現代小説。安吾作品にしては珍しく一人称告白体になっている。

 金銭欲のカタマリにして熱狂的な愛国者、戦後は転じてバイキン撲滅の教祖にならんとする女傑と、彼女をストーカー的に追いまわし悪口を吐き散らす「ヒダリマキ」教師。両者の対決は執拗で、コミカルで、かなり怖い。疎開にからむドロドロの金銭欲の世界に君臨する女傑を「神々しい」とたたえる「私」も、ちょっと「ヒダリマキ」のようだ。

 さまざまな邪教を作品化してきた安吾には、邪教をたちあげる人間の欲望の凄まじさに関心があった。それとともに、邪教に身を捧げるしかない人間の弱さ、弱さの中にも渦巻くチッポケな悲しい欲望、変転する人間心理の複雑なからまり方にも関心があった。

 競輪事件、税金問題などで身辺不穏となり、長らくエッセイ風の作品しか書けないでいたが、「夜長姫と耳男」でフィクション世界に復帰、続けて書いた“リアル・ファルス”の短篇が本作である。これを皮切りに「牛」「中庸」「目立たない人」

「握った手」「保久呂天皇」など、ブラックな笑いの怪作を次々と生み出すことになる。

 もっとも、試み自体は戦後の「金銭無情」あたりから始まっていて、1950年3月発表の「水鳥亭」など、本作とつながる部分も多い。平野謙などは「水鳥亭」を「ユーモア小説」と呼び、「もっとサラリと書いてもらえないかな」と一言で葬り去ったが、そういう安い批評眼で見渡せば、本作もやはり道化失格の烙印をおされて終わるだろう。

「水鳥亭」よりずっと明るく軽快に仕上がっているが、それでもやはり、この系列はスラップスティックな笑いが主眼ではない。「ユーモア小説」と呼ぶのも違和感がある。

『別冊文藝春秋』に載った、いわばメジャー系であるにもかかわらず、冬樹社版全集の刊行まで埋もれてしまった理由も、この手の批評眼が文壇にハバを利かせていたためかと思えば、やるせない気持ちになる。

 なお、本作の下書稿が最新版全集第15巻に収録されている。当初は全く作風が違った。安吾がどうイメージを作り変えたか、苦心の跡がしのばれる。一読をお薦めしたい。

 
(七北数人)  
 
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