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「姦淫に寄す」

 矢田津世子との苦しい恋のさなかに書かれた心理小説。

 ヒロインの氷川澄江は当然ながら矢田がモデルで、のちの「吹雪物語」の古川澄江と1字しか違わない。聖書研究会の会員という設定は少々皮肉っぽいが、聖女と悪女と両方のイメージで語られることの多い矢田を象徴的に表していよう。

 初め、神の視点によるユーモラスな語り口で始まるのは、当時から安吾が大好きだったゴーゴリのファルス短篇「外套」のスタイルを模したのかもしれない。安吾は同年執筆のエッセイの中で、日常の平凡の中にどれほど奇抜なものが潜んでいるか、ゴーゴリに気づかされたことを記している。

 本作も「外套」同様、ファルスの形式をかりて、本人たちにも説明できない人間心理の不可解な綾を、不可解なままに提示する。表面的には何事も起こらず、恋愛すらも入口で立ち往生したまま終わってしまうのだが、内面には激しい嵐が吹き荒れる。

 聖女の心の奥深くに潜む性欲のうねりや渇望が、微細な表情やしぐさから、男だけにはわかってしまう。男の中でも同じ欲情があふれ沸き立っているからだ。

 タイトルの「姦淫」は、新約聖書マタイ伝5-27の一文「すべて色情を懐(いだ)きて女を見るものは、既に心のうち姦淫したるなり」に由来する。だから色情を催すな、という訓戒だが、安吾はこの一文にしばしば噛みついている。その噛みつき方の角度が面白い。

「精神の恋が清らかだなどゝはインチキで、ゼスス様も仰有(おっしゃ)る通り行きすぎの人妻に目をくれても姦淫に変りはない。人間はみんな姦淫を犯してをり、みんなインヘルノへ落ちるものにきまつてゐる」(「悪妻論」)

 安吾作品の中に「精神vs肉体」の相剋をみる研究も少なくないが、当の安吾は真っ向から二元論を否定しているのだ。より強く肉欲を禁ずる者ほど、より罪深い肉欲の嵐の中にいる。それこそが最大の姦淫で、人間の正しい姿でもある、と安吾は観る。

 だからたとえば、肉欲を徹底排除して神に殉じた『狭き門』のアリサなどは、抑圧した渇望の激しさゆえに、狭き門をくぐって地獄の最下層へ堕ちて行った女であるに違いない。

 
(七北数人)  
 
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