坂口安吾デジタルミュージアム

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作品紹介

「余はベンメイす」

「白痴」「外套と青空」「いづこへ」「戦争と一人の女」「恋をしに行く」などの作品で、戦後たて続けに性のテーマに取り組み、ついに安吾は「情痴作家」と呼ばれるに至った。

 そのことについて弁明を書け、と言ってくる編集者が何人もいたらしい。つまりは安吾の味方だからそう言ってくれるわけだが、安吾にはその申し出じたいが気に食わない。

「作家は弁明を書くべき性質のものではない」

 この一語で切り捨てていいのだ。情痴作家、エロ作家、どう呼ばれようが構わない。そうとしか読めない人はそう読めばいい。こんな話は「文学以前の問題」だと安吾は言う。

 本当にただそれだけでよかったのだが、安吾は書きながらどんどん腹が立ってくる。

 人間の性行為を猥褻と決めつけ、夫婦間だけはそれを許す、と言う聖人君子たちに問う。

「誰がそれを許したのですか。神様ですか。法律ですか。阿呆らしい。許し得る人は、たゞ一人ですよ。自我!」

 しなくてもいいはずの弁明が、期せずして、作者の心の奥深くに澱んでいた奇怪な心情まで引きずり出す。

「私は、たゞ一個の不安定だ。私はたゞ探してゐる。女でも、真理でも、なんでも、よろしい。御想像にお任せする。私はただ、たしかに探してゐるのだ」

 唐突に語られる自己分析の言葉。ほとんど解析不能だが、安吾文学にシンパシーを感じる人にはそのままスッと胸に入ってくる、これ以上ない正直な言葉だ。

 カッコイイ、しびれる言葉が次々に現れる。

「私は探す。そして、ともかく、つくるのだ。自分の精いつぱいの物を。然し、必ず、こはれるものを」

「小説は劇薬ですよ。魂の病人のサイミン薬です。病気を根治する由もないが、一時的に、なぐさめてくれるオモチャです。健康な豚がのむと、毒薬になる」

 作家はどんなテーマで注文されても、そこから自分だけのテーマをつかみ出して書くことができる。そして、もしかすると、注文は愚劣なほどいいのかもしれない。

(七北数人)