坂口安吾デジタルミュージアム

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作品紹介

「露の答」

 1945年10月、『新時代』創刊号に発表された小説。

 書かれたのはおそらく戦争中なので、「戦後第一作」とは言い難い。おまけにこの小説、内容は「その一」と「その二」で分裂しており、「その二」の前半・後半でもまた印象がガラリと変わる。終わり方も尻切れトンボな感じだ。

 それでは失敗作かというとそうでもなく、パーツごと、かなり興味をそそる話が語られ、さあこれから面白い展開が始まるぞ、というところで終わる。「折葉はこの物語の主要なる人物の一人です」と宣言されたその娘「折葉」は、最後に顔を見せるだけだ。

 想像するにこれは、中篇か長篇にするつもりで書き始めた未完作ではないだろうか。安吾の長篇は、第1部と第2部で場面も主役も変転していくパターンが多い。

 冒頭に伊勢物語の一首「ぬばたまのなにかと人の問ひしとき露とこたへて消なましものを」が引用されている。「文学のふるさと」などでおなじみの、鬼に食われた女をはかなんで男が詠んだ歌。タイトルもこれに由来する。

「その一」は、政治家加茂五郎兵衛の伝記を書くことになった男の手記の体裁で、五郎兵衛の政治手腕と色恋沙汰、奇妙な決着までの概要が語られる。概要ではあるのだが、政治家たちの陰謀と無責任と天然とが微妙な配合でからまり合い、これが意外に面白い。

「その二」では、語り手が加茂家を訪れ、五郎兵衛の息子夫婦とその妹の折葉に対面する。この息子夫婦も異様きわまりないが、やはりまだ設定の段階で、展開はしない。

 そして、折葉。兄が死にたいと言えば「必ず一緒に死ぬと答へる」純粋培養の美しすぎる娘。その顔は人に「無限」を感じさせ、「十里四方もつゞく満開の桜の森林があつて、そのまんなかに私だけたつた一人置きすてられてしまつたやうな寂しさ」を感じさせる娘。

 のちに「桜の森の満開の下」へと生まれ変わる、イメージの源泉がここにある。

 ある政治家の人物像に、安吾の父仁一郎の経歴と、亡き友長島萃(アツム)の父隆二の印象が混ざっていたように、折葉には長島の妹のイメージがある。「篠笹の陰の顔」に出てきた「透明な幼い笑ひ」。キリシタン殉教の娘たちはこんな顔だったろうと思った時、安吾は実物の娘とは別の、幻妖の虚空に棲む美しい魔物を造形しはじめたのに違いない。

(七北数人)