坂口安吾デジタルミュージアム

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作品紹介

「ヒンセザレバドンス」

 自伝的短篇「いづこへ」や「石の思ひ」などと同時期に発表された回想小説。

 京都伏見稲荷の計理士事務所の二階を間借りして「吹雪物語」執筆に励んでいた頃、背中に腫れ物ができて七転八倒する話がメインになっている。自伝的小説の系列からは少しはずれ、貧乏したエピソードを拾っていく「テーマ小説」の趣がある。

 タイトルは「貧すれば鈍す」の逆。音で書いてみたらチョット異国の言葉みたいでオシャレだし、なぞなそのノリで使ったんじゃないかと思う。

 岡本かの子や谷崎潤一郎などは贅沢をし尽くし、あらゆる文化を吸収して我が文学の栄養にとりこもうとしたが、破滅型私小説作家たちは逆に、とことん貧乏して病み苦しみ、鬼気迫る文学を創造したいと願った。

 安吾のタイトルをみると、破滅型作家たちの生きざまに共感している感じだが、出が名家ゆえ、贅沢できる時は思いきり贅沢する、金がなくなったら誰かに借りる、そういう生活が日常的にできる身分であり、周囲にも恵まれていた。根本的に、葛西善蔵にはなれない。だから、わざわざ貧乏を選びとり、金欠の危機は迫っても、なかなか鬼気は迫らない。何をやってもユーモラスで、背中のデキモノみたいに滑稽なのだ。

 結局自分の貧乏はファルスのタネにしかならないことを安吾は最初からわかっていて、無頼を気どる自分を笑って楽しんでくれればいい、そんなサービス精神も感じられる。貧乏の極にあって「よろしい、酔へ。どんなバカげたこともやれ。責任はひきうけてやる」と太鼓判を捺してくれるのが、内なる自分というやつであるところもファルス風で、同時に無頼派らしい刹那的な危うさも滲み出ている。

 生前未発表に終わった短篇「青い絨毯」の中間部と重なる部分が多い。「青い絨毯」はおそらく戦時中に書かれ、京都伏見の火薬庫の情報が入っていたためにボツとなった原稿と思われる。その京都の部分だけを抽出して書き上げたのが本作である。

 ちなみに、安吾が3カ月住んだ伏見稲荷の計理士事務所は、最近、町家風にリノベーションされ、宿泊施設「稲荷凰庵」の新棟「安吾」としてオープンした。目の前にあった火薬庫は、龍谷大学深草学舎になっている。

(七北数人)