坂口安吾は、昭和27年2月29日妻三千代、愛犬ラモーとともに群馬県桐生市に越してきました。伊東競輪の写真判定に不審を抱いた安吾が、科学的に実証するため以来した群馬大学工学部と桐生の人々の真摯な態度に感動して、すっかり桐生が気に入ったからでした。
桐生では名家の書上(かきあげ)家母屋を借りて住みました。地元の考古学研究科周東隆一氏の案内で南川潤氏らと一緒に群馬県の古墳遺跡を巡ったり、書上氏と一緒に夫妻でゴルフを習って楽しみました。翌28年には初めての子どもが生まれ、安吾は父になります。桐生での暮らしを描いた『桐生通信』や『明日は天気になれ』をはじめ、『信長』『安吾史譚』『真書太閤記』などの歴史小説、『夜長姫と耳男』『保久呂天皇』『安吾新日本風土記』等数多くの作品を執筆しました。
昭和30年2月17日早朝脳出血のため、安吾は48歳と4か月の生涯をとじました。作品や資料から桐生で過ごした3年間をふり返り紹介します。
期間
平成27年8月6日(木)から平成27年11月23日(月・祝日)
午前9時から午後5時まで
会場
旧市長公舎「安吾 風の館」(新潟市中央区西大畑町5927番地9)
おもな展示作品
■ 坂口安吾自筆原稿「工員ゴルフ」「田舎のメーンストリート」「信長」ほか
■ 競輪事件のメモ、写真説明原稿など
■ 坂口安吾自筆色紙「去年の今夜は・・・」(桐生市図書館所蔵)
■ 書簡 坂口安吾 眞鍋呉夫宛 昭和26年10~11月頃(個人蔵)
南川 潤 坂口安吾宛 昭和26年2月15日
■ 坂口安吾 命名の書(個人蔵)
■ 南川潤「桐生の安吾さん」制作ノート(個人蔵)
■ 南川潤所蔵『ピカソ画集』1948年(個人蔵)
■ 周東隆一氏メモ・覚書等(個人蔵)
■ 初版本、初出誌 各種 等約50点