作品名 | 閑山 |
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発表年月日 | 1938/12/1 |
ジャンル | ファルス 幻想・伝奇 |
内容・備考 | 安吾初の説話小説。狸が僧に化けて寺に数百年住みついたという昔話などが原話だが、中身のほとんどは安吾の野放図な想像力の所産である。所産、といっても全篇オナラにまつわるおバカな話なのだが。 和尚に化けた団九郎狸は禁欲一途、仏道精進に一瞬の気のゆるみもないが、放屁癖が悩みのタネだ。溜めに溜めた屁が爆発するとき、全山鳴動し「人々の踏む足は自ら七八寸あまり宙に浮き」しばらくは土を踏めなかったという物凄さ。 後年の「お奈良さま」も面白いが、本作のスケールの巨大さには呆然とするほかない。遠野で語り継がれている屁っぴり嫁の爆風をもしのぐだろう。そのゆえもあって、放屁衝動に耐えてがんばる狸坊主の様子がまた、いじらしくも可笑しい。 最後、一念凝った果てに苔むす岩石のようになった狸坊主の姿が、一瞬「むくむくとふくれて、部屋いつぱいにひろがつた」と見えた。存在イコール屁と化し、空間すべてに遍在する素粒子にでも変じたか。「風博士」がどこにでも同時に存在できたように――。 また別の年には、乱痴気騒ぎと放屁にあけくれる無数の小坊主たちの姿がある。これもまた、遍在のオルタナティブなスタイルだろう。団九郎狸こと呑火和尚の、これが解脱の姿だとしたら、素晴らしいかバカバカしいか、われわれ凡夫には判断のしようもない。ただ笑い飛ばすにはシュールに過ぎる。壮大な空虚。すがすがしいような、悲しいような、不思議な気分が束の間あとをひき、それもすうっと消えてゆく。ファルスの本領が、これだ。 仏教用語や古典調など交えたしかつめらしい言い回しで、究極のオナラ小説を語るのが安吾流ファルスの方法。どこか吹っ切れた感じの闊達自在な書きぶりである。 ファルス作家と呼ばれながら、その実、6年ほど本格的なファルスから遠ざかっていた(1935年の「金談にからまる……」は言葉だけのファルスで空回りだった)安吾だが、長く苦しんだ『吹雪物語』刊行後の第1作にして、新しいスタイルを切り開いた感がある。以後、「盗まれた手紙の話」や「勉強記」(これも放屁小説!)など、ファルスの秀作が次々生み出された。 (七北数人) |
掲載書誌名 |
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