作品名 | 石の下〔明治開化 安吾捕物7〕 |
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発表年月日 | 1951/4 |
ジャンル | 推理小説 歴史 |
内容・備考 | 捕物帖第7話は、1951年4月と5月に、前・後篇の2回に分けて発表された。 とはいえ全体の長さは他より1~2割長い程度で、分ける必然性はなかった。前月から「安吾の新日本地理」が始まり、この月からは「安吾人生案内」の連載も加わっていた。おまけに、この時は大阪取材旅行に発つ前(2月半ばまで)に仕上げるはずの捕物原稿が、体調不良で書けず、編集者が旅行にくっついて来たので、旅の宿で睡眠を削って必死に書いたと「道頓堀罷り通る」に記されている。これが本話の「前篇」に当たるようだ。 もっとも、2回に分けたせいか、筋立ても構成も込み入ってなくて、比較的スラスラ読める話になっている。会話や心理描写を多く盛り込んだ筆致にも余裕が見られる。 始まりは幕末、川越の碁打ち千頭(センドウ)津右衛門のもとへ、賭け碁の世界で生きる神田の甚八が挑みに来るところから始まる。対局中に突然死する津右衛門のダイイングメッセージ、系図に書き込まれた暗号、豊臣家かキリシタンに絡む埋蔵金の行方、さまざまな謎を残したまま明治の世になり、20年が経過する。 暗号は味つけ程度でやさしいし、犯人当ても他の話よりは難しくない。本話では謎解きよりも、悪い奴らの埋蔵金目当ての化かし合いが読みどころで、そういう目で見ると、心理ドラマとして実に巧みに仕組まれていることがわかる。 第3話「魔教の怪」に出てきたのと似た邪教一家がここにも出てくる。タナグ山の山神のお告げということで、一家そろって千頭家に住み込みに来るのだ。家ぐるみ乗っ取ってしまおうという企みは誰の目にも明らかだが、周囲の人間が次々と洗脳されていくとなると、やっぱり手の打ちようがなくて恐ろしい。 迎え撃つのは、津右衛門の妻千代の長兄で、がめつさでは邪教一家にも引けをとらない天鬼。そして1人で謎を解きつつお宝に迫って行く甚八。のこのこ罠にはまりに来た感もある神田っ子甚八の、キップのいいセリフや心理が小気味よく描かれるので、面白がって油断していると、読者もきっと罠にはまる。 (七北数人) |
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