作品名 | 狼大明神〔明治開化 安吾捕物17〕 |
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発表年月日 | 1952年5月 |
ジャンル | 推理小説 歴史 |
内容・備考 | 「狼大明神〔安吾捕物17〕」 捕物帖第17話は、「魔教の怪」や「石の下」以来の、邪教にからむ怪奇な因縁ばなし。 桐生転居からあまり時日を経ないで(おそらく1952年3月中旬ごろ)執筆されたが、早くも秩父や両毛の呉服商が登場し、桐生で古墳めぐりを始めた影響もうかがわれる。 「邪教」といっても、その存在自体が架空の山岳宗教みたいなもので、古代神道の流れという設定になっている。由来となる神々や周辺の神社などの名称は全部実際にあるものなので、狼イナリというのも類似のものが存在するのかもしれない。毎年30本の矢を作り、一年に一度その矢を一斉に放つ神事も、現実にありそうな話だ。 ムラでもほとんどの人が信仰していないこと、何人かが狼イナリのタタリを恐れていること、神の矢で不幸が起きたり人が死んだりしていることなどが「邪教」たる所以であり、この物語にいかがわしさと、おどろおどろしいニオイをもちこんでいる。 呉服商関連の話では、現代でもあちこちで起こっている親子の経営権争いが結構なまなましく描かれ、番頭が明智光秀のように主人からいたぶられるシーンも描かれる。そしてやはり、江戸時代から隠されていた黄金の話も出てくる。殺人の動機はあちこちに潜んでいて、どれが本筋でどれがミスリードなのか、読者の推理が試される。 設定は非常に面白いのだが、新十郎が早い時期に登場し、おもに聞き込みだけで話が進むので、展開は淡々として、設定のわりに怪奇色は薄い。 話の中盤で、古墳や神社の縁起などを詳細に解説しているあたりも、作者の熱意のわりに、中心が架空の宗教では読者を引き込みにくいのではないか。「飛騨・高山の抹殺」や「飛騨の顔」「高麗神社の祭の笛」などの歴史紀行と地続きの話題だが、物語の中ではうまくコナレていない気がする。 とはいえ、捏造された系図や古文書、ミササギなどの怪しさは、2年後の傑作「保久呂天皇」へとつながっていく話材として興味深い。 本話でも新十郎は犯人逮捕に協力しない。また、この回から最終回まで、勝海舟は登場せず、その代わり本作と同じ月に「安吾史譚」で海舟のオヤジ「勝夢酔」を書いていた。 (七北数人) |
掲載書誌名 |
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