内容・備考 |
秀吉の最期のときを独白体で描いた歴史小説。
逝去のひと月前に発表されたため、安吾自身の遺書のおもむきもあったかと、重ね合わせて読む人も少なくなかったようだ。
しかし、本質的には重ならない。秀吉と安吾の性格は、一致点を見つけるほうが難しいぐらい違っている。
晩年に子供ができて、その子かわいさゆえに朝鮮と明へ無謀な戦争を仕掛け、養子の関白秀次の一族を根絶やしにする。
発表後すぐ、神西清が秀吉を卑小化しすぎだと批判した。しかも作者が秀吉になりかわったのでなく、秀吉を作者のほうへ引きずり下ろしている。秀吉だけでなく、家康も小西行長も加藤清正も卑小になっている、と。
ピント外れもいいところだ。歴史書よりも人間味があるのは確かだが、卑小にはなっていない。
「誰れにも解って貰えなかった秀吉の哀しさと、バカバカしいほどの野心とを書くんだよ」
執筆前、安吾は編集者にそう意気込みを語ってきかせた。虚勢と見栄に凝り固まって、出口を見つけられなくなった英雄。そこに人間が人間であることの悲哀がある。むなしく、恐ろしい、けれども、いとおしい──。
「二流の人」では、秀吉は増上慢に取り憑かれて外国を甘く見た設定になっていたが、「安吾史譚」の1篇「小西行長」で改めて秀吉の心を見つめ直した安吾は、少し考えを変えた。用意周到で明敏、しかも情報戦・心理戦に長けた秀吉が、朝鮮や明を甘く見るはずがない。ならば、なぜ──。安吾は史料を引用しながら、秀吉や小西らの考えの表と裏をみごとに解き明かしてみせた。
「安吾史譚」で自分の中に新しく生まれた秀吉、特にその心理の綾は、小説でなければうまく描き切れない。だから、自伝的小説以外ではあまりやらなかった一人称を使って、秀吉の心情を吐露してみせた。間違いなく、作者が、秀吉になりかわったのだ。
(七北数人) |