作品名 | 麻薬・自殺・宗教〔安吾巷談1〕 |
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発表年月日 | 1950/1/1 |
ジャンル | 自伝・回想 社会批評 |
内容・備考 | 文藝春秋読者賞を受賞した『安吾巷談』の、記念すべき第1回。 アドルム中毒の入院治療後、療養のため伊東に居を構えてまもない1949年11月ごろ執筆された。その催眠薬アドルムや、ヒロポン・ゼドリンなどの覚醒剤、静脈注射、皮下注射、服用タイプ、それぞれの違いを非常に細かく、時にオススメするように解説している。 もちろん、それらの薬がまだかろうじて合法だった時代の話だが、安吾にはどうも薬を信用しすぎるきらいがあって、独自の鑑定眼で自分流に薬を大量に使用するので、非常にアブナイ。DDTを何にでも振りかけたり、ペニシリンを万能薬のように打ったりする。服用タイプの覚醒剤は胃に蓄積される害があると知っても、蓄積があるからこそ毎日飲んでると次の日は少量でOK、よって中毒にならない、とオススメする。本当にアブナイ。 もっとも、自分も中毒で痛い目をみているから、脱却の方法については説得力がある。入院の間だけ強制的に薬を抜いても、必ず逆戻りする。自分自身が強固な意志で中毒脱却を指向しないかぎりダメで、強制でなく自由意志による薬抜きを医者は考えるべきと説く。宗教も精神病も全く同じだという。現代にも通用する提言だろう。 また、アドルムの怖さは、自殺願望を起こさせるところにもあるといい、そこから田中英光の話に流れてゆく。英光は本作執筆の直前、11月3日に太宰の墓前で自殺したばかりだったから、ここには英光追悼の気持ちもこめられている。 追悼、といっても型破りで底抜けの豪傑だった英光の話題は、ほぼ酒と薬の話になる。安吾が熱海で仕事をしていた折、遊びに来た英光は3日間、ボリボリ何十粒ものアドルムをかじりながらウイスキー、ビール、日本酒を飲みつづけたそうだ。アルコール量を日本酒で換算してみると3日で一升瓶18本、1人で飲み干した計算になる。人間ワザではない。 なお、この話、従来の年譜では、太宰自殺時の出来事とされてきたが、これは誤伝で、安吾と英光が出逢った1947年10月から11月にかけての時期と考えられる(新たに更新された本ミュージアムの年譜参照)。青山光二『純血無頼派の生きた時代』(2001年)にも、織田作之助の法要の席で、安吾、太宰、編集者らと飲んだとき、安吾が英光の酒豪ぶりを語ったと、あとがきにある。1948年1月10日の織田一周忌にだけ安吾は出ているので、その時で間違いない。その前年10月か11月頃の英光の話ならばちょうど時期も合うし、「安吾巷談」本作中にある「二年ほど前」という記述ともピッタリ当てはまる。 (七北数人) |
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