作品名 | 狼園 |
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発表年月日 | 1936/1/1~3/1 |
ジャンル | 純文学・文芸一般 |
内容・備考 | 小説発表の機会が激減していた安吾が、相当な意気込みで挑んだと思われる奇形の長篇。1935年の夏から秋にかけて執筆、翌年『文學界』1~3月号に連載されたが、中絶した。 読者へ向けた手記の体裁で、語り手の「私」は非常に露悪的に描かれている。それもそのはず、当時の安吾には自分を罰したい気持ちがあったようだ。矢田津世子との関係は壊れ、バーのマダムお安さんとの半同棲や放浪生活のなか、数年間に書いたわずか数作の小説は、恋の苦しみと逃げたい心を描くものばかりだった。 長島萃の生きざまを架空の物語に移し変えた「蒼茫夢」(1935.4)にも、お安とその妹をモデルにしたとおぼしい女性たちが登場したが、「狼園」にもやはりお安たちが現れる。自分が冷たくあしらっている相手を現在形で書く気持ちはどんなだったろう。自伝的短篇「いづこへ」に描かれるお安は、安吾にとって恋着よりも嫌悪の対象であり、冷酷な自分が意識される毎日だった。そのウラには津世子への恋心も消えず残っていた。 「蒼茫夢」では「助平根性と梅毒はうちの血筋なんですわ」と言い放つ長島の妹らしき女性もヒロインの一人だったが、同タイプの女性は本作でも語り手の「淫蕩」な妹として登場する。つまり、主人公には長島の影も重ねられていて、だから何人もの愛人がいる設定なのだろう。 架空の、分裂した土台のうえに、津世子をモデルにした秋子、お安をモデルにした三千代(!)、モデル不明の蕗子という3人の愛人たちとの爛れた関係が語られる。 しかし、現実のモデルが強烈な個性をもっている場合、デフォルメされた人物はどうしても現実に負けてしまう。行動の流れは意識の流れを反映するので、一つでも嘘を混ぜると、その人の性格までもが嘘臭くなる。「蒼茫夢」もそうであったが、この長篇が未完に終わったのは、現実と創作との距離感をうまく測れなかったせいではないかと思う。 複雑に折れ曲がる心の揺れをそのまま文章に写しとろうとするので、一文が異常に長く、意味がとれない箇所もある。登場人物の誰にも愛情がもてない。次々と新しい人物が登場し、それまでの出来事は宙ぶらりんのまま置いていかれる。唐突な展開の連続だが、そのくせ虚無の空気だけはずっとわだかまっている。 痛切な現実を描くならば、事実をありのまま書くことにまさる手はない。安吾はたぶん、本作を第3回まで書き終えて気がつき、書くのをやめた。そしてお安の実像を描いた短篇「をみな」を12月に発表し、お安との関係を清算した。しかし「狼園」の連載開始は皮肉にもそのアトになり、現実の安吾の前には矢田津世子が再び姿を見せる。 タイトルは、横光利一『寝園』への反措定か。当時の文壇で話題になった多層心理小説で、入り乱れる恋愛模様は本作とも似るが、安吾は横光の内容の薄さを座談会で酷評した。 (七北数人) |
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