| 作品名 | 老嫗面 |
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| 発表年月日 | 1936/10/1 |
| ジャンル | 純文学・文芸一般 |
| 内容・備考 | 牧野信一の自殺から2年半の間、安吾は長篇『吹雪物語』以外の創作をほとんど絶った。例外が本作と「女占師の前にて」「南風譜」で、3作とも牧野がらみの短篇である。 特に本作は、牧野の家庭不和から縊死にいたる経緯を大まかになぞっているので、どうしても牧野本人のイメージがかぶさってしまう。牧野の母と妻と愛人、それぞれ仲が悪かったのは事実でもあるが、牧野家の実相とはかけ離れた脚色が施されている。 主人公の安川も、妻の松江、愛人のタツノ、老母のおたきも、言うこととやること、思うことが全部ちぐはぐな人間たちだ。意地がわるく、支配欲がつよく、愛情に飢えながら人からの愛情を手玉にとって嗤う。意に沿わないことがあると逆ギレして、指摘された悪事をわざと繰り返したり、子供っぽい意地の張りあいに終始する。誰にも共感できない。 本作は検閲による伏字が多く、その大部分は性にからむ語句だったと思われるが、ラストでおたきが安川の死体を縄から外そうとして、逆に引っぱっていたような場面も全部伏字になっている。鬼の面のような「無表情」で、おたきは何をしていたのだろう。母としての支配欲は無際限にあったであろうおたきと、つねに復讐心に燃えていた安川と、なにがしか心の執着にからまる肉体的な行動が書かれていたものか。 これが解けると、タイトル「老嫗面」の謎もいくらか解けそうだが、直筆原稿が発見されないかぎり伏字は読めない。姥の面は神がかった役にも用いられると辞書にはある。 本作のテーマを語るのも難しいが、すこし安吾自身にも似た遠山という男の言葉にヒントが隠されていそうだ。遠山は、いまの安川には「生きる意味」が見出せないのだと松江に語る。「そこで彼は生きてゐる自分自身を見出すために、何事かやりださずにはゐられないと焦せるのです。それは焦慮にすぎないながら、生存の本質を賭けたもので、殆んど必死でもあれば盲目的な激情を駆り立てさせもするでせう」 それは切ない真実でもあるが、何も実を結ばない、むなしい激情だ。 彼らの神経戦の様相は、『吹雪物語』の世界とも密接につながっている。どうあがいても気持ちと裏腹の行動に出てしまう、人間の心のどうにもならなさ。アンビバレントな心情がそのままに真実でもあり、それを知るゆえの苦しさに首を絞められる。 どこかに、希望の光はないか。まだ祈りにもならない呻きが、文章全部にこもっている。 (七北数人) |
| 掲載書誌名 |