作品名 | 総理大臣が貰つた手紙の話 |
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発表年月日 | 1939/11/1 |
ジャンル | ファルス |
内容・備考 | 「吹雪物語」の呪縛から解き放たれ、ファルス短篇を連発した時期の快作。 「閑山」「勉強記」は放屁がカンドコロだったが、今度は泥棒合法化のススメだ。肩の力が抜けて、のびやかに楽しんで書いている。 泥棒合法化を泥棒みずから一国の総理大臣に説くとは、ぬすっと猛々しいにも程があるが、単純に笑いながら読んでいると、ついつい説得されてしまいそうになる。ああ、こういう泥棒社会も緊張感があっていいなあ、なんて思わされてしまう。 周囲が泥棒だらけならば、ああなったらこうなって、と妄想していく道筋があまりにチミツで具体的なせいだろう。その大げさな身ぶり、誇張に次ぐ誇張こそが笑いのツボなのだが、同時にウンウンと頷いていたりする。のちに「日本文化私観」で説くことになる必然の美の話まで入ってくる。 読んでいる途中、何度か太宰治の「畜犬談」を思い出した。「諸君、犬は猛獣である。馬を斃(たお)し、たまさかには獅子と戦ってさえ……」という、あの名調子。「日々わずかの残飯を与えているという理由だけにて、まったくこの猛獣に心をゆるし、エスやエスやなど、気楽に呼んで、さながら家族の一員のごとく身辺に近づかしめ……」 本作は他のどの安吾作品よりも口調が「畜犬談」に似ている。泥棒と被害者が街で出逢ってもその人と気づかず、電車では「どうぞお先になどと譲合つたり、風に吹飛ばされたカンカン帽をオットットなどと拾つてやる」と具体的すぎる妄想が広がるあたり、太宰の「エスやエスや」にそっくりだ。 調べてみたら「畜犬談」は本作の3カ月前、発表誌は同じ『文学者』だった。 「富嶽百景」と「勉強記」のオナラつながりも前に紹介したが、あれも3カ月の期間をはさんで同じ雑誌『文体』に発表されたものだった。「紫大納言」改稿版には半年ほど前の「走れメロス」と似た口調が含み込まれていた。 安吾はこの時期、魔法のように繰り出される太宰の文体マジックに触発されることが多かったようだ。同じ雑誌に発表したのは、やはりオマージュの意味合い、この文体ならこんな物語もできるヨ、と太宰に見せたい気持ちもあったのではないだろうか。 (七北数人) |
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