| 作品名 | 青年に愬ふ |
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| 発表年月日 | 1946/6/1 |
| ジャンル | 社会批評 |
| 内容・備考 | 1946年6月、東籬会の会報誌『東籬』に掲載されたエッセイ。 この年4月に「堕落論」を、同6月には「白痴」を発表した、同じ月の貴重なエッセイだが、ほとんど誰も知らないマイナー誌であったため、長らく埋もれたままになっていた。同誌にかかわった高橋旦(正二)が該当号を所持しており、『坂口安吾全集』第15巻(筑摩書房 1999年)に補遺として初めて収録された。 内容は、青年はどうあるべきか、行動指針となるよう親身に語ったもの。青年には無私の精神がある、ずるい大人のマネをして口だけ達者な人間になるな、自らの純粋さを信じて、事の大小に関係なく自分のなしうる善を自分だけの判断で行え、とストレートに語る。 この年3月頃、高橋旦は尾崎士郎の紹介で坂口家を初めて訪れ、その折、東籬会での講演を安吾に依頼した。『東籬』の創刊号を読むと、右翼系の団体だとすぐにわかる。まだ「堕落論」発表前、安吾は会に出向き、1時間ほど天皇制反対論を演説したという。 思想にかかわらず、安吾の言葉は会の皆々にも響いたのだろう。『東籬』への寄稿も依頼され、本作が書かれることとなった。 折しも、浮浪者の救護に身を捧げた末に自らも発疹チフスに罹って死んだ医大生の話が4月8日の新聞に載った。安吾はこれを偉大な精神の一例として取り上げる。 自己犠牲の精神が特攻隊を生んだとして、犠牲自体が悪とされかねない当時の風潮に、安吾は危惧を感じていた。東籬会の面々も他を糾弾することにばかり熱をあげていた。 個の尊重はよいことだ。しかし自立とエゴイズムを混同してはいけない。危険を承知で他人のために尽くすなんて、そんな純粋衝動は大人にはないが、青年の心にのみ宿る。 「私は結社や徒党はきらひで、さういふものゝ中でしか自分を感じ得ぬ人々は特にきらひなのです」 東籬会そのものを否定し去る言葉をあえて連ねながら、語りかける。諸君はまず「ひとり」になり、自我を見つめ、大人が失ってしまった純粋な心を大切にして生きてほしい。安吾は時おり丁寧語も交えて、心からの激励の思いをこめた。 感銘をうけた高橋は、これ以降、安吾の書生のように坂口家へ通うようになる。 (七北数人) |
| 掲載書誌名 |