作品名 | 稲妻は見たり〔明治開化 安吾捕物11〕 |
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発表年月日 | Sep-51 |
ジャンル | 推理小説 歴史 |
内容・備考 | 「明治開化 安吾捕物」シリーズも第11話に来て、やや迷走しはじめる。 いつもより少し早く執筆を始められたが、「どうも、筋が暗い」と再考する旨、日記に記したあと、飛騨への取材旅行に向かい、本話は推敲できずに終わった可能性もある。 新機軸として、本話と次の「愚妖」では“安吾”捕物帖らしく、作者の語るマクラが付く。マクラでは、雷ギライの人の異常な感知能力や、各地の同志たちとの奇妙な連絡網などが「安吾の新日本地理」さながらの軽快な口調で語られ、ここだけ独立させても面白い。ただし、雷ギライの登場人物に話をつなぐ導入部にすぎず、本篇との関わりはない。 本篇の道具立ては結構盛り沢山である。大雷雨の夜に姿を消した母里(モリ)家の女中三枝子の行方、番町皿屋敷を連想させる一連の出来事、稲光に照らされた2つの影、2人の女中が受けていた出身差別……次々と浮かび出る謎に、謎解きへの興味をかきたてられる。 三枝子の兄重太郎の、被差別部落解放に献身する「太陽」のような性格が好もしく、今回だけ登場する若い遠山巡査の純朴さもいい。若い2人がまっすぐな心で丹念な捜査を重ね、新十郎が時折アドバイスする、後の数話に続くこの形式の発明が、本話の大きな手柄だ。 しかし、せっかくの道具立ても有機的にストーリーと絡んでこない。 いちばんの難点は、殺された三枝子の人格が分裂していることだろう。義務と責任をわきまえた清楚な娘でありながら、教会へ行く日曜日に半年前から男とアイビキしていたらしい。しかしハッキリそうと断定もされないまま、話は途切れてしまう。本当はどうだったのか、ここが解けないと犯人の心理も解けないのではないだろうか。 さらに、この緻密な犯罪の前提条件をそろえるのが不可能に近い。一家の主人の家族ほか9人のおもだった者たちが家にいないという、何年に一度もなさそうな極めて稀な一夜に、長くつづく雷が起こり、その雷が鳴り始める前から、関係人物の行動すべてをある一点へ誘導しておかねばならない。そんな何億分の一の偶然を捉えて、かねて(アイビキが事実なら半年前から)計画していた殺人を実行したことになる。 勝海舟の推理も新十郎の推理と大きくは隔たっておらず、三枝子の性格を裏読みしているぶん、海舟のほうが幅の広い視点で見ていたといえるかもしれない。 (七北数人) |
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