作品

作品名 竹藪の家
発表年月日 1931/10/1~1932/3/3
ジャンル 純文学・文芸一般
内容・備考 文壇デビューして早々、牧野信一主宰の『文科』創刊号から終刊まで連載された中篇小説。名だたる作家も多数参加した雑誌なので、安吾の意気込みは相当なものだったろう。
 一部残存する直筆原稿をみると、当初のタイトルは「長旅の果」第一話「竹藪の家」であった。つまり、第二話からいよいよ「長旅」が始まる構想だったのではないかと想像される。この間、京都を旅したのは、取材のためだったかもしれない。
 前作「黒谷村」の、虚無的で浮遊感ただよう文体を引き継ぎ、暗い狂気の影を宿した神経症的な人物ばかり登場する。
 竹藪の家に住む与里(ヨリ)・総江(フサエ)夫妻とその幼い息子、与里の老母の4人家族、みんな神経質でヒステリック、「首縊つて死んぢまへ!」などと、毎日罵り合っている。
 それを聞く居候の駄夫(ダフ)の視点で出来事は語られるが、その語り方が独特で面白い。
「燦々と降る光の泡に胸は一杯に息を塞がれ、広い視界は唯一つの、白金の光芒を放つて、チリチリと旋回する一点の塵と化してゐる」
「それは、こころ貪婪な、むなしい希望ではなかつた。夜毎に、夜は、ひろく、大きく、静かであつた」
 こんなふうに凝りに凝った文章が、無造作に置き捨てられていく。煙草のけむりを追うだけで何行も費やし、煙がまるで生きもののように艶めいて光る。
 同時期に発表された短篇「蝉」と同じく、作中で芭蕉が引用され、うち続く喧騒の中にかえって静寂を感じるというテーマが随所に感じられる。汚濁の中にこそ咲く可憐な花を見つけたい、そんな祈りもこもっている。
 ときどきヤクザっぽい口調で悪態をつく総江が、完全に癇癪を起こして駄夫を罵ったあと、しんみりして、まるで駄夫の母親のような優しさを見せるシーンなど、意想外の色気と純情な悲しみとが未分化にあふれ出て、妙なスリルがあった。
 のちに自伝的小説「二十一」で描かれる、安吾の鬱病時代の友人沢部辰雄とその母、友人山口修三と母がわりの婆やらと、込み入った関係の中で毎日を過ごした体験が、本作に活かされている。その時期、ケイズ屋と名のる男のもとで何作か艶本を書いて小銭をもらった話も、「二十一」より部分的には詳しく書かれていて、伝記的な面でも興味深い。
                      (七北数人)
掲載書誌名
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