作品

作品名 釣り師の心境
発表年月日 1949/8/1
ジャンル 自伝・回想
内容・備考 釣りをテーマに、取手や小田原に住んだ頃の思い出をユーモラスに綴った小品。
 1949年4月に東大病院を自主退院し、8月に伊東へ転地療養に赴くまでの、蒲田に住んだいちばん終わりの時期に執筆された作品である。エッセイともとれるが、ワンテーマで、人物描写に主力をおいているので、発表誌では「小説特輯」欄に掲載された。その後、年間のベスト短篇を集めた『日本小説代表作全集』第21巻に収録された。
 安吾自身は、釣りの経験は小田原で一度だけ、と書きだし、いかに釣りが面白くないものか、いかに釣り師たちの血マナコぶりが滑稽か、誇張も交えながら楽しく文章は進む。
 少々見栄っぱりでガンコな三好達治が、メダカみたいな鮎を釣って大威張りなようすも可笑しく、「ラムネ氏のこと」の三好が思い出される。そこから萩原朔太郎について小林秀雄と論戦になり「バカア、お前なんかに詩が分るかア」と三好がポロポロ泣きだす名シーンに至るまで、安吾は愛情たっぷりに描いている。
 終戦の年、空襲警報が鳴りひびく5月頃に「焼野原をテクテク歩いて、羽田の飛行場の海へ、潮干狩りに行った」話も意外性があって面白い。
 回想はところどころ非常に細密なので、伝記資料としても見逃せない。
 ただし、小田原の鮎釣り解禁日に、三好が小林と島木健作を招いて、安吾や画乱洞こと山内直孝らと飲み騒いだ話を、作中では1941年「であったと思う」と書いているが、正しくは1940年6月1日のことだったようだ。その時、一緒に飲んだ鈴木貫介と彼の弟が正確におぼえていたという(金原左門『坂口安吾と三好達治』)。
 安吾の動向をみても、1941年の6月は大井広介の家に入り浸っていて、ほとんど小田原にはいなかったことが『現代文学』編集後記などから読みとれる。
 鮎釣りをした1940年には、小田原にいろんな作家が来て、よく飲んだ。秋には京都から上京したダダイスト辻潤が安吾に会いたがって訪れ、三好と安吾と辻と画乱洞の四人が「酒仙」と化して飲んだくれている様を、仲間の絵描きが描きのこしている。
                      (七北数人)
掲載書誌名
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