作品名 | 安吾行状日記 |
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発表年月日 | 1952/1/1~4/1 |
ジャンル | 自伝・回想 |
内容・備考 | 競輪不正告発のさなかに、転々と行方をくらます日々の闘いを実録したレポート。「負ケラレマセン勝ツマデハ」で税金闘争の実録を日記体で著してから半年、まだ税務署対策もつづく中、4カ月にわたって連載された。 1951年11月16日、潜伏していた檀一雄邸を出るまでを描いた第1回「三文ファウスト」が翌年1月の発表。檀邸から向島の三千代の実家へ密かに移っていたことを明かす「テスト・ケース」が2月、この時点で世間的には事件終了となっている。3月に「越年記」が発表された時点ではすでに桐生に転居していたことを4月の「幕はおりた」で明かす、という具合に、各回発表直後に安吾の居場所を見つけるのは不可能なように仕組んである。 最後の章を「私の一番主要な行状を書かないための行状日記でありました」と締めくくっているとおり、この間、競輪事件対策として何をなしたかは相当ぼかしている。それより何より、安吾自身が文章の端々で、対策作業への嫌厭気分を吐露しているので、この作品の意義自体が微妙にゆれ惑い、込み入った迷路にはまり込んでいく。 ただ一つ確かなのは、勝ち目はなくとも「バカを承知で権力や暴力に抵抗するということ」が、自身にとって最も大切な、生きていくのにも必須の一事であることだった。 向島での日々は思いのほか平穏で、そのぶん安吾のナマの生活がかいまみえて興味深い。一つの作品を仕上げ、次の作品にとりかかるまでの短い間に、どんな形でリフレッシュするか、何が次作のヒントになるのか、そういった創作過程のウラ話があちこちに盛り込まれている。その意味では「戯作者文学論」に似た資料価値がある。 また、風俗時評的な感想も多く、浅草の通りを歩きながら過去を回想、小さな発見に至って、思わずその研究に没入しそうになるところや、公開直後の映画「猿人ジョー・ヤング」や「世紀の女王」を見ての感想なども独特で面白い。 年末、カレーライスを2皿食べ、20年間で「こんなに大飯食ったことはなかった」と感慨を漏らす。檀邸潜伏時にアドルムで狂乱した折、カレーライス100人前を注文して、みんなで何皿も食いつづけたことなどスッカリ記憶にないらしいのも御愛嬌か。 (七北数人) |
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