| 作品名 | 湯の町エレジー〔安吾巷談5〕 |
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| 発表年月日 | 1950/5/1 |
| ジャンル | ルポ・観戦記 自伝・回想 社会批評 |
| 内容・備考 | 前年から住むことになった伊東のようすを、ファルス調で綴ったエッセイ。 伊東から熱海、箱根に至る温泉地の高級旅館ばかり、40件も荒らしまわった泥棒の話がメインで、温泉地特有の人情や雰囲気とあわせてユーモアたっぷりに語られる。 話に入る前のマクラも非常に面白い。熱海周辺が自殺のメッカになった話に始まり、大島の三原山自殺が話題になって観光客が殺到すれば島民は「感謝の一念」、「おまけに、火口自殺というものは、棺桶代も、火葬の面倒もいらない」とブラックに付け足す。 ついでに、自宅の窓がハズレ倒れて泥棒が入ったと大慌てした日の、自らの迷探偵ぶりを自虐してみせる、その語り口がまた大げさなファルス調で笑える。 この調子で本題の愛すべき泥棒の話に入っていくので、面白くならないワケがない。 「機にのぞみ、変に応じて、手口を使い分けていた」泥棒先生は、「芸者をつれて豪遊し、それがアリバイを構成し、食後の運動、又、時にはコソ泥式の忍び込みもするところなども通算して一つの風流をなしている。惚れ惚れする武者ぶりだ」と褒めたたえる。 テクニカルな智能犯に喝采したくなる心理と、妖婦に騙されたい男の心理を重ね合わせて、猿飛佐助などの忍者やマジックショーなどが大人気である理由を説いていく。その語り口がそれこそ変幻自在、これまさに「人間の胸底にひそむ『無邪気なる悪』に対する憧憬だ」と喝破するあたり、戦前のファルス短篇「総理大臣が貰つた手紙の話」でスリ合法化社会の到来を語った名調子を思い起こさせる。 そこからさらに、温泉地と温泉客の分析が始まり、「一方的には片付かない」人間社会の考察へと進み、読者は笑いほうけているうちに、自分のなかの眠れる悪に気づいたり、泥棒を羨ましがったり、いろいろするのだ。 「人間のよろこびは俗なもので、苦楽相半ばするところに、あるものだ。悪というものがなくなれば、おのずから善もない。人生は水の如くに無色透明なものがあるだけで、まことにハリアイもなく、生きガイもない。眠るに如かずである」 「安吾巷談」が文藝春秋読者賞を得たのも、一番にはこうした語り口あってのことだろう。 (七北数人) |
| 掲載書誌名 |