作品名 | 私の葬式 |
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発表年月日 | 1948/6/1 |
ジャンル | 社会批評 |
内容・備考 | 痛快この上ない葬式無用論。信仰心のあつい人には、不謹慎な文章として忌避されること間違いない。死後の世界を信じない、宗教無用論でもあるからだ。 実際、安吾はオダサクの葬儀にも行かず一人の部屋で献杯したが、その理由が本作に明瞭に書かれている。あのとき安吾は欠席しやがったと、死後何十年もたって憎まれ口をたたいた作家もいるが、ひとりきりで悼むのがそんなに悪いことだろうか。 オダサクの一周忌法要には安吾も出席した。酒席は楽しい。思い思いに楽しく故人を偲べばいい。安吾忌が、どんどんドンチャン騒ぎ化するのを苦々しく思う人も少なからずいるが、安吾はそれでいいんだと笑ってくれただろう。 本作に書かれた遺言の話は、妻三千代が本作の翌月に発表したエッセイにも次のように書かれていた。一緒に暮らしはじめた翌年のことである。 「先生は私に遺言を書いて下さって、自分が死んだら、葬式はだすな、あなた一人で屍体の始末から埋葬もしてどこかの片隅か海中へでも骨をすててくれればいい。遺産はみんなやる、遠りょなく恋をして幸福にくらせ、と仰有るのです」(「安吾先生の一日」) 後年、安吾が身の危険を感じた折、尾崎士郎を立会人にして正式な遺言状を書いたが、この時の遺言とだいたい同じ内容であった。 かぎりなく優しい遺言だ。実にスッキリ、ハッキリしている。 「私自身の死後の名声などゝいうことは考えていない」ともある。ここまで割り切れるのが不思議なくらいだ。作家たるもの、死後の名声を願わない者があるだろうか。 しかし、死後は完全な無だとしたら、自分の心も存在しないので、安吾の言うとおり、死後の名声なんてあってもなくても関係がない。本人には感知できないのだから。 生きている間に、死後の名声が見通せるか否かの問題はある。それだとしても、世間に認められるかどうかは二の次だろう。自分が自分の作品を世界文学として認められれば、それ以上の到達点はない。名作を書き上げた満足は世間の評判とは別個に、確固としてある。その満足のためにだけ、作家は小説を書くのかもしれない。 (七北数人) |
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