内容・備考 |
1946年12月に発表されたもう一つの「堕落論」。
安吾を一躍流行作家に押し上げた『新潮』発表の「堕落論」から8カ月後、同じタイトルで『文芸季刊』に発表されたもの。単行本収録の際「続堕落論」と改題された。
主旨はほとんど同じである。旧来の権威から信じ込まされてきた「健全なる道義」というヤツが、いかに欺瞞に満ちたニセモノであるか、自分だけの目でちゃんと検証し、自分本来のホンモノの人間性を取り戻せということだ。
正篇の「堕落論」発表後、世間では大きな話題となったわりに、その年の文壇内での批評は少なかった。この間に何があったかは定かでないが、続篇の文章は怒りに満ちている。
「藤原氏の昔から、最も天皇を冒涜する者が最も天皇を崇拝してゐた」
「国民は泣いて、外ならぬ陛下の命令だから、忍びがたいけれども忍んで負けやう、と言ふ。嘘をつけ! 嘘をつけ! 嘘をつけ!」
「ナンセンス! あゝナンセンス極まれり」
わかりやすくなったからだろう、正篇発表の折には鳴りを潜めていた左翼系の評論家たちが、一斉に安吾批判を始めた。法を破れと言うのか、強盗・強姦・戦争・暴力の礼讃だ、等々すべて意図的な曲解だったが、その声は強かった。
安吾の本作での激しさは、この状況を見越しての宣戦布告でもあったかのようだ。俗物どもとの徹底的な戦いはここに火ぶたを切った。
「道義頽廃、混乱せよ。血を流し、毒にまみれよ。先づ地獄の門をくゞつて天国へよぢ登らねばならない」
このあたりは正篇にはなかった比喩だ。「欲望について」から「エゴイズム小論」までの間に、安吾の中で「天性の娼婦」について少し意識の変化があった。マノン・レスコーや『危険な関係』の侯爵夫人の恋愛を、究極の奉仕の姿ととらえたとき、彼女らはキリストや親鸞にも比せられる「究極の堕落者」となった。
より「正しい」堕落は、常人には進めないイバラの道である。ここにおいて、堕落の意味レベルは数段上がった。
(七北数人) |